'''神風'''(かむかぜ、しんぷう、かみかぜ)は神道用語。神が吹かせる風などを意味する。
古くは日本書紀の垂仁紀において、「神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰する国なり。この国に居らむと思ふ」という倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神から受けた神託などに登場する。ここでの「神風の」は伊勢にかかる枕詞である。元寇の文永の役の際には実録等では暴風雨が吹いたとは記されていないが、八幡神の霊験を宣伝するための資料である八幡愚童訓だけが暴風雨が吹いたと記している。従来は『大日本史』の記述の影響などもあり、1281年の弘安の役の二度にわたって起こったと広く信じられていたが、確実なのは弘安の役の時のみで、文永の役の際には補給の不備などから元軍が自ら撤退したものであり、暴風は起こらなかったとする説が有力である。1876年(明治9年)に熊本鎮台で起きた、明治政府への士族反乱。神風連の変と呼ぶこともある。「連」というのは熊本で言う郷党組織の事。詳しくは神風連の乱参照。
神風連は政府の開明政策に反対する復古主義、排外主義を主張しており、国粋主義的な思想背景を持っていた。神風連(敬神党)の名は神道の信仰に由来する。
これを題材とする作品に三島由紀夫の四部作『豊饒の海第二巻「奔馬」』がある。1937年(昭和12年)に東京からロンドンまでの100時間を切る記録飛行に成功した朝日新聞社の航空機は'''神風号'''と称し、その乗務員が帰国して前述した伊勢神宮に参拝する事になったため、同年5月24日に現在の近畿日本鉄道(近鉄)の母系会社である大阪電気軌道(大軌)とその子会社の参宮急行電鉄(参急)は、大阪の上本町駅(現・大阪上本町駅)から伊勢神宮外宮の最寄駅である宇治山田駅まで臨時の記念特急電車を運行し、その特急電車も「'''神風号'''」と名づけられた。
「神風」はその翌日から同社の定期特急列車の名前に採用され、1938年(昭和13年)ごろまで大軌の看板列車として走り続けた。なお、航空機の方の「神風」に基づいたクラシック音楽で、神戸出身の作曲家大澤壽人による「ピアノ協奏曲第3番《神風》」というものがある。「神風」は日本のその後の思想に大きな影響を与えた。特別攻撃隊の'''神風(Kamikaze)'''は、元寇を追い払った神風と同様に連合軍を討つということに由来する。という語は、その後、諸外国において、身の危険を省みない攻撃に対する形容の言葉として定着している。
アルカーイダによる自爆テロに対し''Kamikaze''という形容語が各種マスコミ(欧米、及びアラブ寄りのマスコミ)によって用いられた。外来語が原義と異なる意味になる例として、英語のkamikazeと日本語の神風の意味にずれが生じるのは外来語取り入れの過程で他にも起きることである。また日本でも戦後、乱暴な運転を行うタクシーを「神風タクシー」と呼んだ例がある。
※太平洋戦争末期に、台風の脅威を知らなかった、アメリカ太平洋艦隊の護衛空母部隊は台風の危険水域に突入。末期の空母戦闘と同じぐらいの損害を受けた。古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスの『歴史』によれば、紀元前492年アケメネス朝ペルシア帝国の海軍が、ギリシア本土に侵攻しようとした際、アトス半島で「'''神風'''」にあって艦船が大破、ペルシャ軍は戦わずして潰走したとされている。
ギリシア神話に基づけば、この風は冬にギリシアの北方から冷たい風をもたらすボレアス(Boreas)という神が呼び起こしたもので、時には恐ろしい破壊をもたらしたという。
ボレアスがアテナイの王女オレイテュイアを略奪する神話は、芸術作品の素材としてもよく知られており、アテナイの人々はボレアスを親類としていた。
なお、イソップ物語に登場する『北風と太陽』は本来ボレアスと太陽神アポロンのやりとりであったと言われている。
神国
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