'''日本国'''(にっぽんこく、にほんこく)、または'''日本'''は、日本列島及び周辺の島々を領土とする国家である。「日本国」という国号は、日本列島が東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来していると考えられる。憲法の表題に「日本国憲法」や「大日本帝国憲法」と示されているが、国号を「日本国」と直接かつ明確に規定した法令は、存在しない。「日本」の国号が成立する以前、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称されていたが、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになった。やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「大和」に変更し、これを「ヤマト」と読んだ。「日本」という国号の成立時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられる。この頃の東アジアは、618年に成立した唐が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。従来の遣隋使を改めた遣唐使を送り、唐との外交関係を深めていた。その後、672年の壬申の乱を経て強い権力を握った天武天皇は、天皇を中心とする体制の構築を更に進めた。そして、689年の飛鳥浄御原令から701年(大宝元年)の大宝律令へと至る。
このような情勢の中で成立した「日本」号だが、具体的な成立の時点は、史料によって特定されていない。ただ、それを推定する見解は、二説に絞られる。まず一説は、天武天皇の治世(672年 - 686年)に成立したとする説である。これは、この治世に成立したと解される「天皇」号と同時期に「日本」号も成立したとする見解である。例えば吉田孝は、689年の飛鳥浄御原令で「天皇」号と「日本」号と両方が定められたと推測する。もう一説は、701年(大宝元年)の大宝律令の成立の前後に「日本」号が成立したとする説である。例えば神野志隆光は、大宝令公式令詔書式で「日本」号が定められたとしている。『日本書紀』の大化元年(645年)七月条には、高句麗・百済からの使者への詔に「明神御宇日本天皇」とあるが、今日これは、後に定められた大宝律令公式令を元に、『日本書紀』(720年(養老4年)成立)の編者が潤色を加えたものと考えられている。
8世紀前半の唐で成立した『唐暦』には、702年(大宝2年)に「日本国」からの遣使(遣唐使)があったと記されている。後代に成立した『旧唐書』、『新唐書』にも、この時の遣唐使によって「日本」という新国号が唐(武則天、大周)へ伝えられたとの記述がある。両書とも「日の出の地に近いことが国号の由来である」とし、国号の変更理由についても「雅でない倭国の名を嫌ったからだ」としている。国号の変更の事情について、『旧唐書』が「小国だった日本が倭国を併合した」とするのに対し、『新唐書』が「倭が日本を併合し、国号を奪った」としている。いずれにせよ、これらの記述により、702年に「日本」国号が唐によって承認されたことが確認できる。これまでに発見されている「日本」国号が記された最古の実物史料は、開元22年(734年、日本:天平6年)銘の井真成墓誌である。
『旧唐書』・『新唐書』が記すように、「日本」国号は、日本列島を東方に見る国、つまり中国大陸からの視点に立った呼称である。平安時代初期に成立した『弘仁私記』序にて、日本国が中国に対して「日の本」、つまり東方に所在することが日本の由来であると説明され、平安時代に数度に渡って行なわれた日本書紀の講読の様子を記す『日本書紀私記』諸本においても中国の視点により名付けられたとする説が採られている。
『隋書』東夷伝に、倭王が隋皇帝への国書に「日出ずる処の天子」と自称したとあり、このときの「日出ずる処」という語句が「日本」国号の淵源となったとする主張もある。しかし、「日出ずる処」について、仏典『大智度論』に東方の別表現である旨の記述があるため、現在、単に文飾に過ぎず、「日本」国号の成立と無関係と考えられている。「'''にっぽん'''」、「'''にほん'''」と読まれる。日本政府は、正式な読み方を明確に定めていないが、どちらの読みでも良いとしている[「にほん、にっぽん両方OK 「日本」読み方で政府答弁書」 MSN産経ニュース 2009年6月30日22:26配信]。雅語で「ひのもと」と読むこともある。
「日本」の国号が成立する以前、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称されていたが、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになった。やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだ。
同時に、7世紀の後半の国際関係から生じた「日本」国号は、当時の国際的な読み(音読)で「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測される。いつ「ニホン」の読みが始まったか定かでない。平安時代の仮名表記では、促音・濁音の区別が無かったため、「ニッポン」音も「にほん」と表記された。ここから「ニホン」の読みが起こったと考えられる。しかし、日本語のハ行音は、P音 → F音 → H音と変化したと考えられ、江戸時代以降にH音が定着したので、仮名で「にほん」と表記されたものを平安時代に「ニッポン」ないし「ニポン」と読み、やがて「ニフォン」に変化し、江戸時代の後期に「ニホン」と読むようになったと考えられる。また、平安時代に「ひのもと」とも和訓されるようになった。
室町時代の謡曲・狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代にポルトガル人が編纂した『日葡辞書』や『日本語小文典』等には、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた。このことから小池清治は、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、その他の言語も参照。
その後、明治に入っても「ニッポン」「ニホン」が統一されない中、に文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用する、とする案を示したが、不完全に終わった。6月30日には、政府が「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定した。現在、通商や交流の点で海外と関連のある紙幣、切手などに「NIPPON」と描かれる一方、「NIHON」表記を用いる団体の例としては、日本ビデオ倫理協会や日本大学、日本ユニシス、日本相撲協会などがある。なお、(国会に複数の議席を有したことのある)日本の政党名における読みは、以下の通り。
● 「ニッポン」
日本社会党(1945-1996)
日本自由党 (1953-1954)
新党日本(2005-)
たちあがれ日本(2010-)
● 「ニホン」
日本共産党(1922-)
日本労農党(1926-1928)
日本自由党 (1945-1948)
日本進歩党(1945-1947)
日本協同党(1945-1946)
日本農民党(1947-1949)
日本民主党(1954-1955)
日本新党(1992-1994)古くから多様である。
● 和語
「葦原中国」(『古事記』、『日本書紀』神代)
「豊葦原(とよあしはら)」
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」(『古事記』)
「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)
- 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
「秋津島」
「大倭豊秋津島」(『古事記』)
「大日本豊秋津洲」(『日本書紀』神代)
- 「秋津」は、「とんぼの島」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
「師木島」(『古事記』)
「磯城島」「志貴島」(『万葉集』)
「敷島」
- 「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
「大八洲」(『養老令』)
「大八洲国」(『日本書紀』神代)
- 多くの島からなる島国の美称と解される。
「磯輪上秀真国」「細矛千足国」「玉垣内国」(『神皇正統記』)
「大和」「大和国」
「瑞穂」
「浦安国」
「日出処」
● 漢語
「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、扶桑蓬莱伝説に準えた「扶桑」、「蓬莱」を始め、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。
「皇朝」は、もともと中原の天子の王朝をさす漢語だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。江戸時代の儒学者などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「帝国」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。大日本帝国憲法の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる。
● その他の言語
英語の公式な表記は、(ジャパン)。略記は、が用いられる。(ジャップ)は、侮蔑的な意味があるので注意が必要である。(ニッポン)が用いられる例も見られ、具体的には、UPU等によるローマ字表記(1965年以降)、郵便切手や日本銀行券などで表記を用いている。略称は、NPNが用いられる。
その他、各国語で日本を意味する固有名詞は、ジャパン()、チャパーン()、ヤーパン()、ジャポン()、ハポン()、ジャッポーネ()、ヤポニヤ()、イィポーニヤ()、イープン()など、特定の時期に特定の地域の中国語で「日本国」を発音した「ジーパングォ」を写し取った(日本語読みの「ジッポン」に由来するとの説もある)、ジパング(Xipangu)(Zipang)(Zipangu)ないしジャパング(Japangu)を語源とすると考えられる。
漢字文化圏においては、リーベン()、イルボン()、ニャッバーン()など、「日本」をそのまま自国語の発音で読んでいる。通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。が、厳密な「日本」の成立は、国号にあるように西暦700年前後であり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている。
時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。考古学上は、旧石器時代(先土器時代)、縄文時代、弥生時代、古墳時代、歴史時代、とするのが一般的である。一方、歴史学上は、古代(飛鳥時代から・奈良時代・平安時代)、中世(鎌倉時代・室町時代・戦国時代)、近世(安土桃山時代・江戸時代)、近代(明治・大正・昭和以降)の四分法が通説である。
日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の華北や北方のシベリアとの文化交流も見られた。約1万2千年前の前後に最終氷期が終わると、大陸から分離した。この後も列島と大陸との間に活発な通交・交流が行なわれ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。が、東アジアの最東方に所在する島国、という地理的条件により、他の東アジア地域と異質な要素を持つ独自の文化・社会・政治体制を発達させた。
紀元前8世紀頃以降、中国南部から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「ムラ」「クニ」と呼ばれる政治組織が徐々に形成され、1世紀・2世紀前後に各クニの連合による倭国(本来はヤマト等であり後に国名を日本変更)と呼ばれる大規模な政治組織が出現した。この連合的政治組織は、3世紀・4世紀頃に統一王権(ヤマト王権)へと発展する。その後ツングース系中国人の国家である百済や新羅に対して、度重なる出兵を行いまた要人を配する等したため国外に影響力を持つようになる。663年に百済復興のために援軍を送るが白村江の戦いで唐に敗れて半島への影響力を失う。7世紀後半に中国の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国家(律令国家)としての完成を見た。当時の日本は、隋との通交以来、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする冊封体制からの独立を志向した。これは、他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。
その後、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。
成立当時の日本の支配地域は、日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれた(隼人)が、抵抗の強かった東北地方の全域が領域に組み込まれたのは、鎌倉時代に入ってからである(蝦夷)。特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。
10世紀から12世紀に掛け、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制、更に中世国家へと移行した(荘園公領制・職の体系)。12世紀頃(平安末期)から起請文などの古文書に「日本」や「日本国」の表記が見られ始め、社会に「日本」や「日本人」の意識が生まれたことの表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となり、併せて「神国」観念を定着させた。網野善彦は、このような「日本」・「日本人」意識は、外国のみならず神仏などをも含む「異界」に対する関係性の中で醸成されたとしている。室町時代には、「日本」の領域が北海道の南部まで及んだ。
14世紀から15世紀までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。この地域国家の形成は、中世社会の再統合へと繋がり、16世紀末に日本の統一政権が樹立されるに至り、近世へと移行した。日本の領域は、この時期にも変動している。16世紀末に蠣崎氏が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、17世紀にシャクシャインの戦いやロシア帝国の進出によって北方への関心が強まると、アイヌ及びロシアへの他者意識が「日本」・「日本人」観となって庶民層にまで定着し、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて鬼界島・硫黄島までが西の境界と意識された。17世紀初めに薩摩島津氏が琉球王国を侵攻して支配下に収めたが、その後も琉球王国は、日本・中国への両属を続けた。
19世紀中葉に入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識が更に強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、国民国家意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国家建設の基礎となった。
明治維新に伴う近代化により、近代的な国民国家の建設を急速に進めた。同時に近隣国と国境の確定を行い、1875年(明治8年)に樺太を放棄する代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、また、琉球処分を通じて南西諸島方面の実効的な支配に成功し、ここに一旦、近代国家としての日本国の領域が確定した。
自由民権運動を経て1885年(明治18年)に内閣制度を確立し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法を制定し、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうして、アジアで初めて憲法と議会とを持つ、近代的な立憲国家となった[『歴史、未来をみつめて』教育出版]。
19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られ、日清戦争や日露戦争を経て勢力圏の確保を進めた。両戦争を通じ、台湾・澎湖諸島および南樺太を領土に収め、関東州の租借権を獲得した。その後、1910年(明治43年)に韓国併合が実施された。1919年(大正8年)にパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した(アメリカ合衆国などが反対)。また、発足した国際連盟からの委任を受けて南洋群島を統治することとなった。大正時代に大正デモクラシーが起こり、政党政治や普通選挙が実現した。
1930年代に満洲への進出を強め、満洲国を建国して一定の支配権を得るに至り、軍部が台頭した。こうした対外志向は、特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に1945年(昭和20年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の敗北によって破局に至った。
そして、イギリスやアメリカなどの連合国により、史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを失った。占領下に国制の改革が進められ、憲法改正を行って日本国憲法を制定した。1952年(昭和27年)の平和条約によって全権を回復し、戦後、復興と共に1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げ(高度経済成長)、世界有数の経済大国となった。また、1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)にかけてトカラ列島や奄美群島、1968年(昭和43年)に小笠原諸島、1972年(昭和47年)に沖縄県の施政権が、それぞれアメリカから返還された(本土復帰、沖縄返還)。
1970年代後半以降、先進国の一員として数々の国際的役割を果たし、多くの発展途上国で成長モデルとして目標にされた。21世紀に至り、高齢化社会に伴う人口減少、経済のグローバリゼーションへの対応など、数多くの課題に直面している。国家としての日本、又は、日本の文化は、長い年月を経て段階的に形成されて来ていて、明確な建国の時期を示す記録は、存在しない。建国記念の日(旧紀元節)は、記紀で神武天皇が即位したとされる日(紀元前660年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)となっている。
『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が辛酉年春正月庚辰朔(1月1日)に即位したとの記述があり、戦前、これが日本建国の画期と考えられていた。明治5年11月15日(1872年12月15日)には、神武天皇即位紀元が西暦紀元前660年に始まると定められ、これを元年とする紀年法・「皇紀」が明治6年1月1日(1873年1月1日)から使用された。
公的には、この神武天皇即位紀元をもとに、1966年(昭和41年)、(昭和41年政令第376号)により、2月11日が「建国記念の日」に定められた。しかし、歴史学の立場から見る神武天皇の即位は、神話と見られ、事実でないとされる。戦後、皇紀の使用は、一部を除き殆ど無くなった。
建国の時期として、この他に「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や大政奉還が為されて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。が、国家としての日本は、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。 6852の島(本土5島+6847離島)から成る島国である。アジア・東アジアの中でも特に東方にあり、ユーラシアの東端にあたるため、欧米から極東・東洋などとも呼ばれる。全体的に弓形状であり、全面積は約37.8万km²(日本の実効支配領域に限る)で世界第61位である。国土の約70%が山岳地帯であり、約67%の森林率である。
太平洋の北西部にある領土は、本州・北海道・九州・四国などから成る日本列島を中心に、南に延びる伊豆・小笠原諸島、南西に延びる南西諸島(沖縄本島など)、及び北東に位置する千島列島に含まれる北方地域(北方領土)など、離島を多く含み、全体として列島を形成する。
● 最東端
東京都南鳥島 (北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒)
● 最西端
沖縄県与那国島西崎 (北緯24度26分58秒・東経122度56分01秒)
「日本の最○端」のなかで唯一、公共交通機関で訪れることができる場所である。
● 最南端
東京都沖ノ鳥島 (北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒)
● 最北端
北海道弁天島 (北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)(日本政府の実効支配下にある領域の最北端)
北海道択捉島カモイワッカ岬 (北緯45度33分28秒・東経148度45分14秒)(日本政府が領有権を主張する領域の最北端)
周囲を太平洋、日本海、東シナ海、フィリピン海、オホーツク海などの海洋に囲まれる。本州と四国との間の海は、瀬戸内海と呼ばれる。地上の国境線が無く、ロシア、北朝鮮、台湾、韓国、中国、フィリピン、アメリカと排他的経済水域が接している。また、南方にパラオ共和国、小笠原諸島の延長線上にミクロネシア連邦があり、太平洋を挟んでアメリカ大陸がある。沖合を暖流の黒潮、対馬海流、寒流の親潮、リマン海流が流れる。
現在、ロシアとの間に北方領土問題(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)、韓国との間に竹島の領有問題がある。その他、近年になって尖閣諸島の近海に地下資源が発見されて以降、中国や台湾が尖閣諸島の領有権を主張している。現在の実効支配で言えば、北方領土がロシア、竹島が韓国、尖閣諸島が日本、となっている。
地形区分は、地質構造を基準に、本州中部を南北に縦断する糸魚川静岡構造線を境に、南西日本と東北日本とに大別される。付近では、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレート、北アメリカプレートがせめぎ合い、環太平洋造山帯・環太平洋火山帯・環太平洋地震帯と呼ばれる帯の一環をなしている。そのため、世界全体で放出される地震エネルギーのうち1割から2割が日本の周辺に集中すると言われているほど地震が頻発し、震度1や2クラス程度の地震なら、どこかで毎日のように起きている。また、火山活動が活発な事から火山性土壌が多く、これが日本列島の自然を豊かにした面もある。また、温泉が多い事も火山の恵みと言える。
河川は、利根川・最上川などが代表的であるが、大陸河川と違い、源流から河口までの距離が大変に短い事、海抜高低差が急な事もあり、比較的、流れが速い。集中豪雨が発生した時、堤防を決壊し、人家・田畑に甚大な被害を及ぼすという短所もあるが、比較的新鮮な水が取水しやすいのも特色である。
周囲を海に囲まれた島国であることから、海上交易・漁業ともに盛んな海洋国家である。内海を含む領海を入れた領域の面積は、約43万Km²、排他的経済水域を入れて約447万km²であり、領土のみの面積の11.7倍にあたる。● 気候
大半が温帯に属すが、南方の諸島が亜熱帯(多良間島・石垣島・西表島・与那国島・波照間島・沖大東島などでは熱帯性気候で熱帯雨林気候に属する)、北方が亜寒帯の気候を示す。海洋性気候だが、モンスーンの影響を受け、四季など寒暖の差が大きい。
冬季は、シベリア高気圧が優勢となり北西の季節風が吹くが、その通り道である日本海で暖流の対馬海流から大量の水蒸気が蒸発するため、大量の雪を降らせる。そのため、日本海側を中心に国土の約52%が世界でも有数の豪雪地帯となる。太平洋側では、空気が乾燥した晴天の日が多い。
夏季は、太平洋高気圧の影響が強く、高温多湿の日が続く。また、台風も多い。但し、北部を中心にオホーツク海高気圧の影響が強くなると低温となり、しばしば農業に影響を与える。
また、比較的、降水量の多い地域である。主な要因は、日本海側での冬季の降雪、6・7月(沖縄・奄美は5・6月)に前線が停滞して起こる梅雨、夏季から秋季にかけて南方海上から接近・上陸する台風など。年間降水量は、約1,700mmとされる。
● 自然
南北に長く、また、森林限界を越える高山帯や広い海洋、四季の変化により、面積の広さに比べ、生息する動物や植物の種類が豊富である。
四方が海で囲まれているため、外部から新しい生物が侵入してくる可能性が低い。それに加え、多くの離島があるため、その島独自の生態系が維持されてきた土地が多数ある。特に小笠原諸島や南西諸島は、古くから本土と比べて孤立した生態系を築いてきたため、その島に固有の動植物が多く生息している。殊に、小笠原諸島は、「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど特殊な生態系を持つ。そのため、オガサワラトンボ、オガサワラノスリ、南西諸島・八重山列島の西表島のイリオモテヤマネコなど、島の名前が動植物につけられた例も多数ある。
高度経済成長期以降の食卓の変化や海外の農産品の輸入問題など様々な要因により、近年、農林水産業が大きく変化した。このため、田畑や人工林の放置、漁業資源の減少などの問題も発生している。
● 環境・公害
: 1950~1960年代、四大公害病を始めとした大規模な公害の発生から、1967年(昭和42年)の公害対策基本法を始めに水質汚濁や大気汚染などの規制法が相次いで成立した。これを受け、日本企業は、オイルショックのためにマイナス成長下にあった1973年(昭和48年)~1976年(昭和51年)の前後に集中して公害の防止への投資を行い、1970年代以降、大規模な公害の件数が急速に減少した。また、この投資は、オイルショック下の日本経済の下支えの役割を果たしたため、「日本は公害対策と経済成長を両立させた」と言われる。
しかし、ゴミ問題のために富士山の世界遺産登録を断念したことに象徴されるように、環境対策や管理において多くの課題を抱える。生態系においても、明治以降、外来種による生態系の変化が起こり、トキやニホンオオカミの絶滅に代表されるような生物多様性の低下が起こっている。また、ニホンザルやイノシシが市街地に出没するなど、人間の生活への影響も出ている。
● 植物・森林
亜熱帯のものから亜寒帯のものまで植物の種類が豊富で多様性に富む。殆どの地域で一年の間に湿度の高い時期を経験するので高湿度に適した植物が多く分布している。コケ植物やシダ植物なども豊富。また、慣習的に菊・桜が国花と同等の扱いを受ける。この他、各自治体でも独自の木や花を制定している。
陸地の約3分の2が森林(森林率66%・森林面積:2,512万ha・2009年(平成21年)現在)である。亜熱帯から亜寒帯に渡る、どの地域でも年間の雨量が十分で、森林の成立が可能である。平地の植生は、南の約3分の2が常緑広葉樹林、いわゆる照葉樹林という型であり、北の約3分の1が落葉広葉樹林、ブナ林を代表とする森林である。標高の高い地域では、更に常緑針葉樹林、一部に落葉針葉樹林がある。南西諸島では、熱帯の要素が強く、多少ながらマングローブが発達する。
この森林面積の内訳は、天然林が53%(1,335万ha)、人工林が41%(1,036万ha)、その他(標高などの条件で未生育の森林など)が6%、となっている。この内、人工林は、第二次世界大戦後の拡大造林の影響を受けたことから、スギ林が多数(452万ha)を占める。ここまで人工林が多い理由として、1950~1970年代の前半に空前の住宅建設ラッシュが発生して木材需要が逼迫し、その後、1970年代後半~1980年代にかけて木材輸入制限が緩和、海外からの輸入量が急増し、一転して木材の価格が暴落した結果、採算の取れない人工林の多くが取り残されることからである。人工林の手入れを怠った場合、生育できない、土砂の流出、水源の涵養が十分に発揮されない、年輪がマチマチで節だらけの商品価値が無い立木になる、そして、伸ばし放題の枝や葉の影によって周囲の木々の光合成の効率が悪化、などの問題が発生する。また、放棄されたスギ林では、春先に大量の花粉が発生して花粉症の原因の一つとなっている。
● 動物
; 哺乳類
: :: 100種強が生息し、その内、固有種が3割を超え、7属が固有属である。日本の哺乳類相は、北海道と本州との間にあるブラキストン線、また、南西諸島の内、トカラ列島と奄美群島との間にある渡瀬線で区切られ、これらを境に異なる動物群が生息している。
: 大型哺乳類では、北海道のヒグマ、エゾシカ、本州のツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンカモシカなどがいる。
: 固有種であるニホンザルの内、下北半島に住む個体群は、世界で最も北方に棲息するサルである。ニホンオオカミ、エゾオオカミ、ニホンアシカ、及び、日本のラッコ個体群は、絶滅。ニホンカワウソも絶滅の可能性が高い。日本犬や日本猫は、都道府県によって様々な品種がある。
; 鳥類
: :: 500種を越える鳥類が観察される。四方の海に加え、水源が豊富な日本では、河川や池、湖が多く、それに棲む水鳥の種類が豊富である。また、南北に長い弧状列島は、シベリアで繁殖する鳥の越冬地や更に南に渡る鳥の中継地点として、或いは、東南アジア等で越冬した鳥が繁殖する地でもあるなど、渡り鳥が豊富に行き交う位置にあり、その中継地としても重要である。近年、乱開発による干潟の減少や、東南アジアの森林の破壊が、日本で見られる鳥類の存続の脅威となっている。
: 固有種は、メグロなどがある。国鳥は、キジ。トキの個体群は、絶滅。現在、佐渡市で人工的に繁殖されているトキは、中国の個体群から借り入れたものである。
: 人家の近くには、カラス、スズメ、ハト、ツバメ、ハクセキレイなどが生息し、古来より文化の中で親しまれてきた。
; 爬虫類・両生類
: いずれも亜熱帯に種類が多く、南西諸島に半分以上の種が集中する。これは、島ごとの種分化が進んでいるためでもある。本土における島ごとの種分化は、さほど見られない。例外は、サンショウウオ類で、南西諸島に見られないが、本土の各地方での種分化が進み、多くの種を産することで世界的にも知られる。また、現存する世界最大の両生類であるオオサンショウウオは、日本を代表する両生類として世界的に知られる。
; 魚類
: :: 近海の魚類は、種類、数、共に豊かで、三陸海岸沖から千島列島に掛けてが世界三大漁場の一つに数えられる。近海を暖流と寒流とが流れ、これらの接点である潮境でプランクトンが発生しやすいことや、周辺に広い大陸棚や多様で複雑な海岸を持つこと、などが好条件となっている。淡水魚の種は、大陸に比べて河川の規模が小さいため、多くない。古代湖である琵琶湖などに多彩な種が棲息するものの、アユなど食用に供される種の人為的な放流や外来魚の勢力拡大により、希少種の絶滅や淡水魚類相の激変が問題となっている。他方、雨量の多い気候のために河口域に汽水域が出来やすく、貝類も豊富である。
:また、2010年に海洋生物センサス(Census of Marine Life)が出した報告により、日本近海は、世界25箇所の代表的な海の中で最多となる、約3万3000種の海洋生物が生息していることが明らかとなった。これは日本の気候が南北に渡って非常に多彩であり、同時に大きな海流に恵まれ、海水が多くの栄養を持っていることを示している。(例えば北海道は流氷の南限であるのに対し、南西諸島及び小笠原諸島はサンゴ生育の北限である。)
; 昆虫
: 亜熱帯のものから亜寒帯のものまで種類が豊富で多様性に富む。森林が多いため、数も多い。都市部でも多くの昆虫が見られる。雨が多く、湿地や水田が各地にあるため、特にトンボの種類が多い。また、カブトムシなど里山に暮らす昆虫も多く見られたが、暮らしの変化と共に少なくなった。江戸時代頃からスズムシやコオロギの鳴き声を楽しむために飼育が行われてきた。愛玩対象として昆虫を飼う文化は、世界的にも珍しい。オオムラサキが国蝶。都道府県(1都1道2府43県)という広域行政区画から構成される。但し、地域区分(地方区分)には、揺れが見られる。また、一部の市は、行政上、別途政令指定都市、中核市、特例市に定められている。他にも、市町村や、町村をまとめた郡がある(全国市町村一覧参照)。
● 北海道地方
1.'''北海道'''
● 東北地方
2.'''青森県''' - 3.'''岩手県''' - 4.'''宮城県''' - 5.'''秋田県''' - 6.'''山形県''' - 7.'''福島県'''
● 関東地方
8.'''茨城県''' - 9.'''栃木県''' - 10.'''群馬県''' - 11.'''埼玉県''' - 12.'''千葉県''' - 13.'''東京都''' - 14.'''神奈川県'''(以上「一都六県」。「首都圏」はこれに山梨県を加える)
● 中部地方
; 甲信越地方
: 15.'''新潟県''' - 19.'''山梨県''' - 20.'''長野県''' (新潟の代わりに岐阜を加えて中央高地という言い方もする。)
; 北陸地方
: 16.'''富山県''' - 17.'''石川県''' - 18.'''福井県'''(新潟を加えて北陸地方とする場合や福井県の全域、若しくは嶺南地方を近畿地方に含める場合がある。)
; 東海地方
: 21.'''岐阜県''' - 22.'''静岡県''' - 23.'''愛知県'''(普通、「東海3県」というと、静岡県ではなく三重県を含める事が多い。)
● 近畿地方
24.'''三重県''' - 25.'''滋賀県''' - 26.'''京都府''' - 27.'''大阪府''' - 28.'''兵庫県''' - 29.'''奈良県''' - 30.'''和歌山県'''
● 中国地方
31.'''鳥取県''' - 32.'''島根県''' - 33.'''岡山県''' - 34.'''広島県''' - 35.'''山口県'''(鳥取、島根、山口の一部で山陰と言い、岡山、広島、山口のほぼ全域で山陽という。)
● 四国地方
36.'''徳島県''' - 37.'''香川県''' - 38.'''愛媛県''' - 39.'''高知県'''(四国山地より北を北四国、南を南四国とする。また、中国地方と併せて中国・四国地方とする場合もある。その場合、山陽と北四国とを併せて瀬戸内と言う。)
● 九州地方
40.'''福岡県''' - 41.'''佐賀県''' - 42.'''長崎県''' - 43.'''熊本県''' - 44.'''大分県''' - 45.'''宮崎県''' - 46.'''鹿児島県'''
● 沖縄地方
47.'''沖縄県'''(九州地方に含む場合もある) 127,767,994人(国勢調査 2005年〔平成17年〕10月1日)
約127,724,000人(総務省統計局「人口推計月報」2007年〔平成19年〕3月1日確定値)
127,433,494人 (CIAワールドファクトブック、2007年7月)
約128,100,000人(2007年〔平成19年〕6月現在)
127,066,178(総務省による住民基本台帳に基づく人口の調査 2008年7月31日)
日本国籍を持つ者の割合:98.9%(2003年〔平成15年〕8月現在)
● 年齢構成
日本は1950年以降急速な少子化、高齢化が進行している。そして、1970年に'''高齢化社会'''(65歳以上の人口割合が7%から14%)に、1994年に'''高齢社会'''(65歳以上の人口割合が14%から21%)になり、2007年には'''超高齢社会'''(65歳以上の人口割合が21%以上)となった。
; 地域別分布
日本の各地方の人口は次の通りである。
首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、群馬県、栃木県、山梨県):約4024万人
近畿圏(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県、三重県、福井県):約2475万人
東海地方(愛知県、岐阜県、三重県、静岡県):約1493万人
九州・沖縄地方(福岡県、大分県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県):約1478万人
東北地方(宮城県、青森県、岩手県、秋田県、山形県、福島県):約974万人
中国地方(広島県、岡山県、山口県、鳥取県、島根県):約770万人
北陸・信越地方(新潟県、長野県、富山県、石川県):約697万人
北海道地方(北海道):約566万人
四国地方(愛媛県、徳島県、高知県、香川県):約413万人
100万人規模以上の人口を有する大都市が各地方に点在している。国民の多くは、これらの大都市、又は、その周辺部で生活する。国土全体を対象とした人口密度調査においても領域国家として世界有数の高さを示すが、沿岸の平野部に都市部が集中していて、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に東京を中心とした首都圏の人口は、日本の人口の約3分の1を占め、世界最大の都市圏を構成する。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、ドーナツ化現象などの問題も起きている。
● 人口の上位3都府県
東京都:約1270万人(5,790人/km²)
神奈川県:約885万人(3,663人/km²)
大阪府:約882万人(4,654人/km²)古来から日本列島で暮らしてきた人々は、日本民族(大和民族)と呼ばれ、日本に住む者のほとんど(98.5%)を占める。また、日本列島にルーツを持つ他の民族として、アイヌ及びニヴフ、ウィルタがいる。アイヌは、北海道の先住民族として政府から認定されているが、樺太にルーツを持つニヴフ、ウィルタは、政府による公式な認定を受けていない。沖縄諸島ないし琉球諸島の住民を琉球民族として大和民族と分ける考えもある。
ヤマト王権の側から書かれた古代史には、九州地方に熊襲、東日本に蝦夷など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは、徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化していったとされる。アイヌ語と日本語との比較言語学的な関連が見出せないことから、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷が、オホーツク文化などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。日本国籍を有さない外国人や日本列島外にルーツを持つ帰化した日本人が200万人程在住している[人口統計 および帰化統計 日本国 総務省 統計局]。現在、在住人口の約1.5%が外国人登録者である。中国籍、韓国籍、朝鮮籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍の順に多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。近年の外国籍の増加の背景には、1990年(平成2年)の入管法改正でブラジルなどに移民した日本人の子孫の日本での就労が自由化された事が大きく、更に結婚の国際化などもある。その他、戦前の亡命ロシア人の子孫も少なくない。
韓国籍、朝鮮籍、及び台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く、中国残留孤児や家族の永住帰国もいる。更に、韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民が30万人程いる。
1895年(明治28年)に台湾を、1910年(明治43年)に朝鮮半島を併合後、太平洋戦争敗戦まで日本の一部として、台湾人、朝鮮人にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない。ただし、朝鮮人の移入が始まると政府は朝鮮人の本土への移動を禁止した、その為不法に入国(移動)し住み着いた朝鮮人が戦前戦後に急増した。また、大戦中に軍人、軍属として、又は、労働者として志願して来た者もいる。終戦の後、彼らの多くが祖国へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まったり、いったん帰国した者の内の一部が戦後の祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺(済州島四・三事件)、また差別階級の出身者が多かったため祖国を逃れて日本に渡ったりした。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって日本国籍を喪失したが、特別永住者として在住し続ける者も多い。現在では、日本生まれが多数派であり、帰化して日本国籍を取得する者も多い。日本国籍を取得していない場合もあり、その場合は当然日本国民とは呼べない。無国籍状態や多重国籍状態の者も少なからず存在する。
日本では明治以来、日本国籍保有者は出自に関わらず法的には日本人の地位として扱われているが、文化的に「外人」の陋習が根強くあり、両親のうちいずれかの家系に外国籍(他民族・他文化)の血統があることで外人扱いすることがあり血統差別の問題を生んでいる。とくに韓国・朝鮮系を両親にもつ日本国籍取得者、あるいは韓国・朝鮮籍人と日本国籍人の両親から生まれた子孫に、民族意識と国籍の乖離の問題が多く現れている(参照:在日韓国・朝鮮人)。これは韓国社会が日本と同様に血統主義・純血主義の傾向を持つことも影響しており、日本社会の側も彼らを国籍とは関係なく外人扱いすることがある。戦後の日本社会に歴史的に形成されてきた韓国・朝鮮文化アイデンティティは、かつては日本社会による韓国・朝鮮人差別として指弾され、昨今では逆に彼らの日本文化や日本民族(大和民族)への差別意識や特権意識(アファーマティブアクションに乗じたモラルハザード)が問題とされしばしば指弾されている。
アイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から華僑・印僑の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。近年では日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの「研修労働者」、不法入国(滞在)労働者の人権問題などが発生している。日本人の起源は、いわゆる縄文人を基層に弥生時代の前後に、南東・東アジアから移住したものとの説が近年有力(近年のDNA追跡)だが、詳細について諸説あり、定かでない。自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」・「日本民族」とも言う。古代からの天皇を頂点とする近畿地方の朝廷と、中世以降における天皇を支配の正統原理として後ろ盾とする武家政権との二重構造で成立した中央政権の支配下に入った地域の住民が、固有の大和民族とされる。
南西諸島の人々は、縄文時代から弥生時代にかけて九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしていることは明らかである。
またアイヌ民族は、いわゆる民族としては中世から近世にかけて成立したとされる(本土の大和民族との接触が大きい)。ただし、アイヌ民族は縄文時代人の直系子孫との見解が、ここ最近の人類学会では、ほぼ定着している。もちろん、その歴史的背景、特に江戸時代から明治期以降の差別問題、そして最近では北海道の土地をめぐる裁判など多くの社会問題を抱え込んでいるため、一般人向けの書籍など(新聞や雑誌テレビなどのマスコミを含む)でこの点が明記されることはほとんど無い(歴史教科書も含む)。それでも、学会、特に遺伝学会や人類学会では、アイヌ民族が縄文の直系子孫であることに、現在では異論はもはやほとんど無い。考古学や歴史学の立場から見れば、アイヌ民族の成立過程は、遺伝学的立場からの生物学的過程と異なり、深い検証が必要であるとして、遺伝学会などの立場をやや批判的に見ている研究者も多い。
これらの見解の相違は、日本人あるいは日本の成立と同じ問題を抱えており、何を持ってアイヌあるいはアイヌ文化と見るか、による。歴史学や考古学の立場からは、相変わらず、中世の擦文文化やオホーツク文化の影響を強く主張し、それらとの接触を経てアイヌ文化がやがて成立するという見解を取る研究者が多い。しかし、これは現代にまで残る考古学遺物にもとづた見解であり、土器やその他の遺物、遺構の型式あるいはその発達が、果たして民族と同義あるいは民族の成立そのものを示すのか、という考古学に含まれる根本的な問題が残されている。
その点では、遺伝学的生物学的に縄文時代の人間と直接の遺伝関係を強く持つ(大和民族も縄文人との遺伝関係が無いわけではない。しかし、アイヌのほうがより強い)という科学的な分析結果のほうが、より多くの一般人に対して説得力を持とう。しかし、遺伝学や生物学という学問の専門性の高さや、先に上げた社会的な問題から、この点について大きく触れることはない。
もちろん現在では、アイヌ民族は日本国民でもある。
縄文晩期以降、ユーラシア大陸からの移住者が縄文時代からの土着の狩猟採集民と混血しながら倭人(和人)としての文化を形成する。ヤマト王権の成立に伴い、和人としての文化的な一体性が形成される。その後、蝦夷など朝廷の支配下に入るのが遅れた人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。
「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。現在、アイヌ語を第一母語とする人々はすでに絶えているが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、ソビエトの侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイから植民団が入植してヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んだ。日本には公用語を明示する法令が存在しないが、日本語がほぼ全ての国民の母語であり、慣習に基づく事実上の公用語である。全土で均質化された日本語による義務教育が行われ、識字率は極めて高い。日本に定住する外国人も多くは日本語を理解する。国会では、アイヌ語などの使用も認められているが、憲法や法律は、日本語で記したものが正文である。
近代以前の日本語は、中古日本語に基づく文語を使用していたが、口語との乖離が大きかった。また口語は京都方言が中央語と意識されていたが、地域や階層による方言差が大きかった。明治維新による近代的な国民国家の創設に伴って言文一致運動が起こり、口語に近い文語と国民的な共通の口語の形成が朝野の双方から推し進められた。東京方言を基盤に整えられた新しい文語や口語(標準語・共通語)は、教育・報道・行政・軍隊などを通じて国民に広く浸透し、国民的一体感の形成に寄与した。共通語の浸透に伴い各地の方言は衰退・変容を余儀なくされたが、近年、地域文化・アイデンティティーとして見直す機運が高まり、教育現場においても共存が図られるようになった。
日本は漢字文化圏に属し、日本語の表記には漢字とそれから派生した仮名を主に使用する。第二次世界大戦後、GHQの指導などもあって、政府は漢字の全廃を決定し、全廃まで当面使用できる漢字をまとめた「当用漢字表」を告示して漢字の使用を制限した。しかしその後、当用漢字よりも緩やかな「目安」として「常用漢字表」が制定され、漢字全廃の方針は撤回された。そうしたなかで、一部の漢字は正字体(旧字体)から新字体に簡略化された。固有名詞は別扱いであることから、人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が続いており、異体字の扱いは現在もしばしば問題となる。仮名の正書法に関しても、終戦後、従来の歴史的仮名遣から現代仮名遣いに変更された。
日本語以外には、アイヌが用いるアイヌ語や、樺太から移住した少数住民が用いたニヴフ語・ウィルタ語、小笠原諸島の欧米系島民と日本人島民のピジン言語である小笠原語がある。現在ではニヴフ語・ウィルタ語の母語話者によるコミュニティは消滅し、アイヌ語も母語話者が10人以下に限られる危機に瀕する言語であるが、アイヌ語再興の取り組みも活発である。琉球諸島の伝統的な言語は本土方言と違いが大きく、日本語内部の一方言(琉球方言)か、日本語とは系統の同じ別言語(琉球語)か、その位置づけには議論がある。琉球語内部でも地域差が大きく、複数の言語の集合として「琉球語派」や「琉球諸語」と位置づける場合がある。
その他の言語は、日本語に単語として取り入れられた外来語を除き、日本人同士の意思疎通にはほとんど用いられず、高等教育の教授言語としても常用されない。日本人にとって最も身近な外国語は国際語である英語であり、実務上での便益や諸外国人への配慮から、国際取引や学術研究の場で使用が奨励されることがある。義務教育の中学校の必修科目である外国語科では英語を扱うことが圧倒的に多く、それ以降の高等教育機関でも多くの日本人が英語を学ぶ。しかし日本語から遠い系統の言語であるため習得が難しく、また多くの日本人にとって日常生活での必要性が低いことなどから、堪能な者は少ない。一般の人間が大学で学ぶ第二外国語としては、フランス語やドイツ語がよく選択され、中国の経済発展に伴って中国語を学ぶ日本人も増えている。ロシア語の学習者は多くないが、冷戦崩壊後の現在、極東ロシアとの貿易が活発化しているため、北海道や日本海側の都市で外国語表記に取り入れられるなどしている。朝鮮語(韓国語)は日本人にとって比較的習得が容易な言語であり、国家間関係も密接であるが、日本人の学習率は高くない。安全保障上の理由から学ばれている言語は、同盟軍との意思疎通を図るための英語と、仮想敵のロシア語・中国語・朝鮮語が主である(予備自衛官補の語学技能枠で一般公募もされている)。
外国籍の住民および帰化外国人、日本に定住する外国人が用いる主な言語には、在日韓国・朝鮮人を中心に約100万人が用いる朝鮮語(在日朝鮮語)、在日中国人・在日台湾人を中心に約60万人が用いる中国語・台湾語、日系ブラジル人を中心に約30万人が用いるポルトガル語、フィリピン人・欧米人を中心に約25万人が用いる英語などがある。日本国憲法を最高法規とし、この下に、国会が制定する法律、内閣が制定する政令や各省庁が制定する省令などの命令、地方公共団体が制定する条例など、各種の法令が定められる。裁判所は、全ての法令や行政行為などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する違憲立法審査権を有し、最高裁判所を終審裁判所とする。もっとも、いわゆる司法消極主義に基づき、国会や内閣など政治部門の判断への干渉は、控えられることが多い。第二次世界大戦の後、1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日施行。以来、一度も改正されていない。硬性憲法に分類される。
日本国憲法は、憲法第13条・個人の尊厳(個人の尊重)をその根本に置き、次の三つを三大原理とする。
自由、基本的権利の平等の両立を目指す、基本的人権の尊重。
主権が国民に由来する、国民主権。
戦争の放棄、戦力の不保持を定める、平和主義。
統治機構は、立法権を国会に、司法権を裁判所に、行政権を内閣に、それぞれ分配する三権分立を採る。また、内閣が国会の信任に拠って存在する議院内閣制を採用する。
長らく、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた9条を巡って憲法改正論議が行われている。なお、一部には、現行憲法の制定に法的瑕疵があったとして無効を主張し、今も大日本帝国憲法が有効であるとする者もいる。天皇は、第二次世界大戦の後から現在まで、日本国憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)と位置づけられ、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされる(同条)。その地位(皇位)は、世襲によって受け継がれ、国会の議決する皇室典範の定めるところによって継承される(憲法第2条)。憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない(憲法4条1項)。但し、国事行為の他、象徴たる地位に基づく公的行為を行う。
英語での呼称は、Emperor。政府の公式見解としては、事実上の元首であるが、さまざまな解釈がある。例えば、開催国の元首が行う慣例になっているオリンピックの開会宣言を、日本で開催されたオリンピックでは、天皇が行っている。また、[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ja.html CIA各国要覧の日本の項]では、「chief of state: Emperor AKIHITO (since 7 January 1989)」と明記されている。更に、「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」というのが、日本国政府の公式見解である。明治期に制定された大日本帝国憲法には、立憲君主制であることが明記されていた。
初代の神武天皇から第125代の今上天皇(明仁)に至るまで、全て神武天皇の男系子孫により世襲されてきたとされる(万世一系)。また、歴史的に直接統治(親政)を行った時期が少なく、幕府などの機構に統治を委任することが多かった。天皇は、主として政治権力の担い手の正当性を根拠づけ、権威を表象する役割を果たした。国会は、衆議院と参議院との二院からなる二院制(両院制)の議会である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる(憲法41条)。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織される。ただし、法律や予算、条約の議決、内閣総理大臣の指名、内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられている(衆議院の優越)。これは、衆議院解散があり、任期も短いため、より民意を反映しているため、と説明される。
内閣は、首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。国会が指名した人物は、天皇により儀礼的・形式的に任命され、内閣総理大臣に就任する。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣、その他の国務大臣は、文民でなければならない。内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う一方、内閣総理大臣は衆議院の解散権を持つ。
国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案(閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁の幹部公務員(キャリア官僚)の国政に対する影響力は、とても強い。なお、政治家になる家系が代々しっかりとした地盤を持って選挙活動を行うため、いわゆる世襲政治家が多い。
● 55年体制から政権交代の時代へ
国会では、1955年(昭和30年)に結党された自由民主党(自民党)が、一貫して最多の議席を占めていた。同年に結党された日本社会党(社会党)と共に、「55年体制」と呼ばれる政治体制を形作った。この体制は、自民党が与党として党の総裁を国会で内閣総理大臣に指名し、同党議員の中から国務大臣を任命して内閣を組み、社会党が野党として自民党と対立・協調しながら、国政を運営するものである。新自由クラブと連立政権を組んだ1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)までの一時期を除き、1993年(平成5年)までの約40年間、自民党の単独政権が続いた。
1993年(平成5年)に自民党羽田派が離党して新生党を結党し、非自民・非共産連立政権である細川内閣が成立したことで自民党が政権を離れ、55年体制が崩壊した。翌・1994年(平成6年)6月に自民党・社会党・新党さきがけの自社さ連立政権である村山内閣が成立して自民党が政権に復帰。次の橋本内閣以後、小渕内閣で自由党との連立(自自連立)を経て公明党を加えた連立(自自公連立)、森内閣・小泉内閣で自由党が抜けて自由党の一部からなる保守党が残った連立(自公保連立)、保守新党の解党(自公連立政権)など、常に連立政権を組むことで自民党総裁が内閣総理大臣となったが、2009年(平成21年)8月の衆議院議員総選挙で大敗、衆議院第1党から転落し、翌・9月に民主党代表・鳩山由紀夫を内閣総理大臣とする民主党・社会民主党・国民新党からなる民社国連立政権、鳩山由紀夫内閣が誕生した。地方自治は、基礎的な団体である市町村、広域的な団体である都道府県の二段階から成る、地方公共団体が担う。
● 市町村
市が782、町が827、村が195、合計1804。他に、東京都に23の特別区(2007年(平成19年)4月1日現在)。
執行機関たる市町村長、議決機関たる市町村議会が置かれ、いずれも住民から選挙される。
財産を管理し、地域の事務を取り扱い、行政を執行する。法律の範囲内で条例を定める。特に規模が大きい市は、政令指定都市として、一部の権限が都道府県から委譲される。
● 都道府県
都が1、道が1、府が2、県が43、合計47。
執行機関たる都道府県知事、議決機関たる都道府県議会が置かれ、いずれも住民から選挙される。
市町村を包括し、より広域的な行政を行う。法律の範囲内で条例を定める。
現在、東京一極集中を緩和して地方分権を進めるため、都道府県を解消して更に広域的な道州を置く道州制の導入が検討されている(日本の道州制論議)。戦後、憲法によって表現の自由・報道の自由が保障され、建前上、報道に関する政府からの介入は存在しないことになっている。
しかし、実際は、テレビ放送について政府が発行する免許が必要であり、かつ、NHKの予算は、国会の承認が必要である。また、新聞については、再販制度の存廃など、様々な形で事実上の介入が行われている。一方、テレビ・新聞の側においても、記者クラブ制度によって一部の大手マスメディアのみが政府からの情報を受けるメリットを享受している。また、収入源の広告料収入を大企業に頼る大手マスメディアは、かような大企業を批判することに慎重であり、また中国をはじめ大企業が依存する国家に対しても慎重な態度を取る。一方、無用な反発や軋轢を避けるため、「放送禁止用語」や「出版禁止用語」を定めて差別的な表現や下品な表現を「自粛」・「自主規制」することが行われている。また、現在進行中の誘拐事件など人命に関わる場合などにも「自主規制」の対象になる。
なお、近年に発生した報道機関を狙ったテロとしては、未だ解決に至っていない赤報隊事件がある。国境なき記者団が作成する報道の自由度を示すランキングでは、17位(2009年〔平成21年〕)であり、先進国として高い順位であると言える。下位には僅差でドイツ、カナダ、イギリス、アメリカ合衆国などがいる。国境なき記者団は日本における課題として、記者クラブ制度により外国人ジャーナリストやフリージャーナリストによる情報のアクセスが妨げられていることを挙げている。また2007年度の調査では「過激なナショナリストによる報道機関への襲撃の減少が見られる」と述べていた[Reporters sans frontières - Japan - Annual report 2007]。憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法を総称して六法と称する。この六法が日本の法令の基本を成し、日本の法学の基本的な研究分野と考えられてきたことによる。商法の内、企業に関する定めの多くは、会社法に分けられた。刑法には、死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料、没収が刑罰として定められている。死刑制度のあり方を巡っては、憲法の制定の当時から議論がある。同盟国との関係を重視しつつ、世界中の国と友好関係を築いている。外交の基軸として国際連合を中心に各国と幅広い外交を行い、援助や貿易を行っている。伝統的に地理的に近い東アジア各国と強い関係を保ってきた。更に、同盟国であるアメリカ合衆国(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を最重視している。東南アジアやオーストラリア、西ヨーロッパ各国との関係も深い。: 日本はかつて国際連盟を脱退し、連合国(国際連合)(United Nations)を相手に第二次世界大戦を戦い敗れたという経緯がある。国際連合は戦後も継続し、日本は旧敵国の位置づけである。1956年(昭和31年)にソ連との国交を回復し、加盟を果たした。これまでに非常任理事国として最多選出されている。また、世界第2位の国連分担金を担っている。国連改革の一環としてドイツ、インド、ブラジルなどと常任理事国の拡大を訴えている。日本人職員の数は、少ない。日本の知識層の多くは、多大な貢献に比べ、恩恵や評価を受け切れていないと指摘している。長く、国連の武力行使を支持しても、経済援助のみに関与する、という慎重姿勢を取り、湾岸戦争でも巨額の戦費負担をしたが、戦力を出さなかった。が、近年、PKO協力法などの成立に始まり、課題を残しつつも法的根拠が整った。イラク戦争終結後、自衛隊を派遣して復興支援活動に携わるなどの機会も増えている。
: 軍事・経済・政治すべてにおいて緊密かつ重要な関係を築いている。黒船来航から始まる経済協力は、アメリカ合衆国の経済力を背景に大きなものであり続け、2006年(平成18年)まで最大の貿易相手国だった。太平洋戦争(第二次世界大戦)では、東アジア・西太平洋地域で4年間戦った末に降伏し、米を中心とする連合国軍に占領された。7年の占領時代を経て主権を回復したあとも、日米安保条約に基づき基地用地および予算を提供している。これについては沖縄などで縮小運動が起きることがある。加えて、両国の経済的な結びつきの大きさ故に貿易競争や市場参入障壁など慣習面での差異が感情的な摩擦を招くこともある。また、犯罪人引渡し条約を結ぶ数少ない国の一つである。東アジアでは、古来、地理的に近い中国や朝鮮などを中心に外交が行われていた。儒教・漢字文化圏の一角であり、伝統的な文化の中には、雅楽、水墨画、陶磁器、禅宗、書道など、東アジアをルーツに持つ物が多い。明治以降、逆に西洋文化を取り入れて発展した日本の文化が東アジアに伝播することも増えた。欧米を始めとする世界中との外交が盛んになるのも、明治維新以降である。かつて日本領であった台湾や韓国は、現在でも重要な貿易相手である。一方、北朝鮮に対しては、北朝鮮による日本人拉致問題への反発が1990年代後半から高まり、経済制裁の最中である。近隣であるが故に地政学上の対立が常に存在する。日本、韓国、台湾は、それぞれアメリカ軍と同盟・協力関係にあり、一方、北朝鮮と中国とは、同盟関係にある。また、韓国との間に竹島の、中国および台湾との間に尖閣諸島の、それぞれ帰属を巡る外交問題を抱える。
東南アジア諸国とは、基本的に友好関係を構築しており、タイ、フィリピン、マレーシアなど経済的にも文化的にも関係が深く、互いの国民に対する感情も良いとされる。また、日本は、これら各国との自由貿易協定(FTA)の締結を模索している。自衛隊のPKOとしての派遣も、初の派遣がカンボジアへ、また東ティモールへも派遣された。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との間で定期的に首脳会談を行い、関係を重視している。また、この海域(特にマラッカ海峡)は、中東から輸入した原油の9割近くが通過するなど非常に重要なルートであるが、海賊が頻繁に出没する。その対策として、海上保安庁が各国の沿岸警備隊に対して指導・共同訓練を行っている。以下のように、各国との関係は基本的に良好な状態にある。
オセアニアの中でも南洋諸島の各国は、かつて日本が委任統治領ないし占領地として統治下に置いていたこともあり、関係が比較的深い。ミクロネシア連邦では、日系人のトシオ・ナカヤマやマニー・モリが大統領に選ばれている。パラオは、かつて日系のクニオ・ナカムラが大統領に就任し、一部の自治体で日本語が公用語として採用されている(実際に日本語を日常的に使用している訳でなく、象徴的な意味合いが強い)などの経緯もあり、官民とも非常に親日的である。
: 改革開放政策の後、経済的な成長を遂げて多くの日系企業が生産拠点を持ち、また、2006年(平成18年)より貿易総額でアメリカを上回って最大の貿易相手国となった。靖国神社問題に関連して関係が悪化した。日本では、2005年の中国における反日活動なども盛んに報道され、また、2008年(平成20年)6月、アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査では、中国を好ましくないと答えた割合が84%(前年比17%増)となり、調査した24カ国の中で最も高かった。また、日本人の中国への旅行者も減少した。一方、中国では、前年比から9%減少したが、それでも69%が日本を好ましく思っていないという調査結果となり、依然として両国民が相互に反発していることが明らかとなった。報道は中国政府の統制下にあり、一般国民に日本からのODAや謝罪などが周知されているとは言いがたいが、四川大地震に際しての自衛隊の救援活動など、中国人からの感謝の意が表れる出来事もある。2010年(平成22年)以降、経済規模で日本を抜いて成長し、無視できない存在となっている。
: 現在、国交が無い。北朝鮮は、韓国併合に対する評価や賠償問題・請求権問題、いずれについても決着していないとする立場である。日本政府は、日韓基本条約に基づいて韓国政府のみが朝鮮半島の正統な政府であるとの立場である。また、賠償問題も韓国との条約によって解決済みとの立場である。2002年(平成14年)の日朝首脳会談では、賠償権を相互に放棄し、日本が北朝鮮へ経済協力を行う方法で合意したと発表されたが、その後、国交正常化交渉の停滞を招いている。背景には、北朝鮮による日本人拉致問題や不審船事件などに対する日本の世論の反発や北朝鮮核問題などで孤立を深める北朝鮮の現状がある。日本は、現在これらを受けて経済制裁を北朝鮮に行っている。北朝鮮は、核カードを使ってアメリカからテロ支援国家指定の解除を引き出した。
: 韓国併合の影響で反日感情が強いが、アメリカとの同盟の下、親米軍事政権が独裁を敷き、(反共・反日教育を行うと共に)上から反日感情を抑えてきた。金大中政権で日本の大衆文化が自由化されて親近感を持つ人々が増加すると共に、民主化の進行と共に反日感情も浮上してきた。盧武鉉政権で近隣諸国に強硬な外交を行い、日本との領土問題や歴史問題にも強い姿勢で臨み、反日運動が活発化した。李明博政権では、前政権で悪化した近隣諸国との関係を修復し、日本にも比較的穏健な姿勢で臨む方針を見せている。
: 日本政府は、年現在、中国に配慮して台湾を独立国家として承認せず、双方ともに大使館を配置しない代わりに民間の利益代表部を置く。台湾は、日清戦争で日本に割譲されて以来50年間の日本統治時代を経験して近代国家の礎を築いた。その後、連合国の一員として日本に戦勝しながらも共産党に大陸を追われた中国国民党が台湾を支配することになる。日本と中華民国とは、旧敵国であったが、共に反共の立場をとる西側陣営に所属する。その後、国民党は、本省人である李登輝総統を輩出するなどし、反日姿勢も弱まった。安全保障において台湾は、台湾関係法などを背景にアメリカ軍と密接な関係にあり、日米同盟を持つ日本とも間接的な協力関係にある。日本と台湾とは、互いに尖閣諸島の領有を主張し、たびたび係争も起きたが、深刻な対立に至っていない。人的・経済的な交流は、一貫して盛んで、日本の他で初めて新幹線システムの一部を採用した。国民党と民主進歩党との二大政党である。
: タイ王室と皇室との関係が良好である。
: フィリピン人は、在日外国人として国籍別で第4位の人口を有する。
: 日本・シンガポール新時代経済連携協定を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国である。
: 経済面での支援を行い、また、文化面でもクメール・ルージュによって破壊・弾圧された仏教の施設や信仰の復興に、日本の仏教界が大きく貢献している。地雷撤去の活動なども精力的に行われている。
: スマトラ島沖地震では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更にアチェ州へ海上自衛隊の艦艇を派遣した。防災システムの構築にも支援を行っている。
: オセアニアで最大の影響力を持つオーストラリアと非常に緊密な関係を築いている。日米豪の防衛首脳会談が行われたこともあり、経済、軍事、外交などで共同歩調を取る。2007年(平成19年)3月には、自衛隊とオーストラリア軍とが国際連合平和維持活動(PKO活動)の共同訓練、反テロ活動、津波など地域災害に協力して当たることなどが盛り込まれた安全保障協力に関する日豪共同宣言に調印した。これにより、日本にとって安保分野で正式な協力関係を結ぶ(アメリカに続く)2番目の国となる。
: 日露関係は対立とともに語られる事が多い。これはロシアが伝統的に南下政策を取り、太平洋への出口を求めたため、通り道の日本との間に地政学的な対立構造があったからである。その表れとして1904年(明治37年)に始まった日露戦争や、太平洋戦争終了直前のソ連対日参戦、そして北方領土の占拠などが起こってきた。1986年(昭和61年)以降に関係の改善が進み、現在の両国の間では、経済的な交流も盛んだが、北方領土問題やそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題(サハリン2を参照)なども生じている。歴史的には、ゾルゲ事件や対日参戦、日本人捕虜のシベリア抑留などがあった。以下の領有を巡る領土問題等を抱える。
● 北方地域
: 第二次世界大戦の終結が決定的となる日本によるポツダム宣言の受諾(1945年(昭和20年)8月14日)後、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけ、大戦前から日本が領有していた千島列島(ロシア名:クリル諸島)、南樺太(サハリン)にソ連軍が侵攻し占領、以後、ソ連を承継したロシア連邦が現在に至るまで実効支配している。
ロシア(ソ連)は、戦争で獲得した領土と主張する。一方、日本は、北方地域(歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島)をその固有の領土として返還を求めている。ロシアは、歯舞群島・色丹島について日ソ共同宣言を根拠に日本への将来の返還を示唆するのに対し、日本は、択捉島・国後島を含む4島の一括返還を求め、これを拒否する。また、日本は、択捉島と得撫島との間での国境の確定にロシアが同意すれば、引き続きロシアによる統治を認める旨を提示したが、ロシアが拒否した。2007年(平成19年)にロシアが「面積二分割」案を提示したが、なお解決の目処が立たない。日本共産党は、千島列島の全域を日本の領土と主張する(ソ連による千島の占領がカイロ宣言等で示された連合国の「領土不拡大」原則に反し、違法であるとの理由から)。一部では、南樺太ないし樺太(全域)の返還も主張される。
● 日中間の排他的経済水域
: 中華人民共和国(中国)との間における、東シナ海で両国が主張する排他的経済水域の範囲の違いに起因する。日本は、両国の国境の中間線を境界線として主張し、中国は、ユーラシア大陸の大陸棚部分を自国の領域と主張する。国際的には、日本の主張が優勢であるが、中国と同様の主張をする国も存在し、現在、平行線を辿る。
近年、この問題が重要化したのは、この海域の地下に豊富な天然ガスの存在が明らかになったためである。中国は、天然ガスを採掘するプラント(春暁ガス田)を日本が主張する境界の近辺(中国側)に建設するなど強硬な姿勢を取る。これに対して日本は、日本側の資源も採掘される可能性があるとして抗議し、また、この海域での試掘権を設定し、日本の企業が取得した。日本が国際司法裁判所に判断を委ねようとする立場なのに対し、これに同意しない中国は、両国での共同開発を提示するが、日本は、これを中国に有利な条件と認識するなど、依然、解決の糸口が見えない。
● 尖閣諸島(中国名:釣魚台列島など)
: 現在、日本が実効支配するが、その他に中華人民共和国(中国)および中華民国(台湾)が領有を主張する。上の経済水域の問題や中台間の問題も絡み、複雑化の様相を呈する。1970年代の初頭に東シナ海で天然ガスが発見されて以降、表面化した。中台に対抗し、度々、日本の右翼団体が上陸して灯台を建設(現在、日本政府が管理)するなどした。2005年(平成17年)、台湾の漁民が海上保安庁による取締に対して海上で抗議デモを行った。
● 竹島(韓国・朝鮮名:独島)
: 日本の島根県・隠岐島から北西約157km、大韓民国の慶尚北道・鬱陵島から約92kmに位置する、2つの岩礁からなる小島である。日韓が領有を主張(韓国を朝鮮民主主義人民共和国も支持)して対立する。
韓国併合以前、大日本帝国と大韓帝国と、どちらの領土だったかを巡る議論に帰する。日本の国内法上、1905年(明治38年)の閣議決定・島根県告示によって編入された。これについて韓国は、「秘密裏に、また強制的に行われたものであり、法的根拠は持たず無効である。」と主張するが、日本は、「国際法に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」と主張する。韓国は、独立から間もなく李承晩ラインを一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民を拿捕して釜山収容所に抑留したのみならず、第一大邦丸事件など漁船を相次いで銃撃し、多数の死傷者を出した。その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年(昭和40年)に李承晩ラインが廃止された。
1954年(昭和29年)7月に韓国海軍が占拠し、現在、独島警備隊が引き継いで駐屯する。これに対して日本は、韓国による不法占拠として抗議し続け、また、国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国は、これに同意しない。
韓国民にとって独立の象徴と考えられていること、周辺の海域が豊かな漁場であること、また、莫大なメタンハイドレートや海底油田の埋蔵が推測されること、などが解決を難しくしている。
● その他
領土問題に準じる、いくつかの問題がある。
; 沖ノ鳥島
: 中国との間で見解が対立する。「島」であるとする日本に対し、中国は、日本の領有を認めながらも、2004年(平成16年)頃から国連海洋法条約121条3項に基づき、「島」でなく「岩礁」であると主張し、日本の排他的経済水域を認めない立場である。
; 日本海の呼称
: :; 与那国島上空の防空識別圏
: :: 与那国島の西2/3が、沖縄のアメリカ統治期に東経123度線に沿って設置された防空識別圏(ADIZ、アディズ)を引き継いでいるため、中華民国(台湾)の管理下にある。現在、両国の関係が良好であるために情報の交換もスムーズだが、台湾有事において防衛上の重要な問題となる可能性が高い。2005年(平成17年)末から2006年(平成18年)にかけて台湾が防空識別圏から与那国島を外して運用していた事も判明しているが、特に両国で取り極められた訳でもなく、曖昧なままである。南アジア各国とも友好関係を保っている。しかし、被爆国であるため、核実験を行ったインドやパキスタンと距離を置いていた時期もある。が、近年、以下のように両国との関係が強化されたことから、2006年(平成18年)に外務省アジア大洋州局に南部アジア部を新設した。
中央アジア諸国は、かつてシルクロード経由で日本へも文化的な影響を及ぼしていたが、現在の人的な関係は、乏しい。また、経済基盤の貧弱な国が多く、更に海に面していないために輸送コストなども掛かるなどの理由から、一部の希少な地下資源を除き、貿易などの経済的な関係も他地域と比べて活発と言えない状況にある。ただ、この地域に栄えた古代王朝や仏教遺跡の研究などの学術関係での交流は、活発である。
西アジアは、主要な原油供給元であり、経済的に密接な関係を保っている。が、文化的交流は、比較的乏しい。但し、宗教的な対立要因が無いため、住民の対日感情は、比較的良好とされる。
第二次世界大戦以降、西ヨーロッパを中心とする北大西洋条約機構諸国と間接的な同盟関係にあった。また、皇室は、イギリスやオランダ、スウェーデン、ベルギーなどのヨーロッパ各国の王室と深い友好関係を築いている。一方、特にオランダなどには、第二次大戦で交戦したことによる悪感情が一部に残っているとも言われる。
: 近年の著しい経済発展や、情報技術での実績が注目されている。また、G4として共に行動するなど、或いは、対中国の立場からも、関係強化を目指している。更に、2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言(日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言)に署名し、日本にとって、アメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった。
: 1998年(平成10年)の地下核実験から2005年(平成17年)4月まで援助を停止していた。しかし、自衛隊イラク派遣などで、安全保障の観点から中東への影響力が強いパキスタンの協力が必要と感じた日本政府は、当時の小泉純一郎首相が訪問したのを機に有償資金援助を再開した。
: 世界最貧国の一つとも言われ、日本は、経済、保健、自然災害対策など多くの面で援助を行っている。
: 日本は、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群の修復などに多額の援助を行っている。アメリカ合衆国が行った武力攻撃を支持したが、部隊の派遣は、自衛隊インド洋派遣に留めている。
: イラク戦争の後、自衛隊イラク派遣を行った。
: これまでのところ、経済・文化ともに交流が薄い。また、日本は、中東和平やパレスチナ問題に関して中立の立場であり、政府高官が訪問する際には、イスラエル・パレスチナ自治政府の双方と会談が設定される等、バランスが図られている。
: 第一次世界大戦で敵対、第二次世界大戦で共に枢軸国として日独伊三国軍事同盟。戦後も、共に焼け野原から奇跡の復興を果たした経済大国であり、重要なパートナーとしてイギリスやフランスを凌ぐヨーロッパ最大の貿易相手国である。更に、政治の面でも共に常任理事国を目指すG4のパートナーとして行動する。中央アメリカ(中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、キューバなどの社会主義国とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、ペルー日本大使公邸占拠事件でも日本の要請を受けたキューバがゲリラの亡命受け入れを受諾するなど協力した。
南アメリカ(南米)は、地理的に地球の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半からペルーやアルゼンチンと深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、チリとの関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンやパラグアイといった親日的な国も多い。
: 中米諸国の中で最も関係が深い。明治の開国以降に結ばれた日墨修好通商条約は、それまで列強各国の不平等条約に苦しめられてきた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の大使館の中でも国政の中枢地区ともいえる永田町に在るのは、メキシコ大使館のみである。多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。
: 1872年(明治5年)にマリア・ルス号事件をキッカケに修交が始まった。多くの移民が渡り、ラテンアメリカで二番目に日系人口が多く、1990年代に日系人であるアルベルト・フジモリ(スペイン語で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化したが、失脚の後、日本に亡命した。
: 1898年(明治31年)、ロシアとの戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ春日、日進として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が始まった。また、マルビーナス戦争(フォークランド紛争)の最中、アメリカやイギリスなどからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を行わないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。
: 約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり、政治・経済のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を保つ。特に、Jリーグが始まって以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、G4として共に常任理事国を目指していることもあり、国際政治上で連携することも多い。アフリカ諸国は、地理的にも遠く、歴史的にも殆ど関わりが無かったこともあり、現在も人的な交流などが多くなく、観光地としてもエジプトなどの一部を除いて大きな人気がある訳でもない。主に地下資源の輸入と工業製品の輸出という貿易のみの関係に終始していた。
1993年(平成5年)から、ODAなどの経済支援を含む経済的・人的な交流を深める目的で、日本、国際連合、アフリカのためのグローバル連合、世界銀行が共催し、アフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)を開始した。
近年、アフリカ諸国に大使館を増やすなど関係強化に乗り出している。その背景として、中国がアフリカ諸国との関係強化を行っている情況がある。これは、資源確保や国連での票固めなどが目的であると指摘され、現地に在住の華僑などを活用して攻勢を進めている。
なお、サッカーなどスポーツの分野においては、アフリカ諸国を日本に招いた試合が行われており、良好な関係を築いている。
: アパルトヘイトで世界から孤立していた時代にも多くの日本企業が進出し、比較的密接な関係を築いていた。● 安全
近年、海外への渡航の増加に伴い、犯罪に巻き込まれるケースも増えている。特にアメリカ同時多発テロ事件以降、爆破や拉致・監禁事件なども多発し、有名な例としては、イラク日本人人質事件、アフガニスタン日本人拉致事件、更に武装勢力に殺害される事件も2005年(平成17年)に起きた。また、2002年(平成14年)にニューカレドニアのリゾート地で現地の風習・文化をよく知らずに聖地とされる場所に無断で侵入したために地元民に殺害される事件も発生した。
世界的に最も良い方である日本の治安、例えば殺人の発生率が低い順に第3位(2000年〔平成12年〕)であることなど、日本人が日本での治安の感覚と同じように海外で行動すると、その感覚の大きな隔たりから犯罪に巻き込まれることがある。
● マナー
米最大手の旅行サイトExpediaが行ったアンケート調査で、「行儀がいい」、「礼儀正しい」、「物静かで慎ましい」、「クレーム・不平が少ない」の各分野で1位を獲得するなど、2位のアメリカ人を大きく引き離して1位となった。
一方、以下のような事例も存在する。
タイやフィリピンなど東南アジアで日本人を含む先進国からの旅行者による児童買春が問題視される。日本では、国内外を問わず5年以下の懲役などを科す児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が制定されているが、国外での行為が現地における日本・日本人に対するイメージを大きく損なっている。
2008年(平成20年)11月26日、北海道栄高校の生徒21名が修学旅行中に立ち寄ったロサンゼルスの空港にある免税店で高級ブランド品の集団万引きを行い、アメリカのメディアで大きく報道された。警察の機構は、内閣府の一機関たる国家公安委員会・警察庁、そして各都道府県の公安委員会・警察本部による二層構造であり、後者の下部組織たる警察署、更に日本から発祥の交番の存在が地域の安全を担う。SAT等をも擁する文民警察である。
他に、沿岸警備隊たる海上保安庁が国土交通省の外局として、また、国境警備隊たる機能の一部を担う法務省入国管理局(入国警備官)や財務省の税関(税関職員)、或いは、特に薬物犯罪を専門に管轄する厚生労働省の各地方厚生局麻薬取締部(麻薬取締官)などが、それぞれ設置されている。
銃砲刀剣類所持等取締法により、銃・刀剣などの武器の所持を厳しく規制している。国際連合薬物犯罪事務所の統計によれば、国連加盟192国の内、犯罪・刑事司法の統計を報告している国の中で、殺人、誘拐、強姦、強盗などの暴力犯罪の発生率が著しく低い。その理由については、制度的な要素、社会的な要素、日本人の遵法意識の高さなど諸説あるが、その一つとして厳しい銃規制も挙げられる。但し、イギリスの銃規制に見られるように日本と同等ないし罰則だけなら日本よりも厳しいのにもかかわらず、殺人事件に占める銃の使用される比率が日本の倍を超える国すら存在するので、注意が必要である。戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を規定する憲法第9条の存在により、安全保障の分野におけるデ・ジュリとデ・ファクトとの乖離が特に目立つ。事実上の軍事同盟たる日米同盟(日米安全保障条約)に基づき、在日米軍が駐留する。また、事実上の軍隊たる自衛隊は、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊から構成され、内閣総理大臣及び防衛大臣による文民統制の下、防衛省によって管理される。また、事実上の準軍事組織として沿岸警備隊たる海上保安庁が存在するが、海上保安庁に対処が困難な事態が発生した場合、主に海上自衛隊が担当する。
大日本帝国憲法の統帥権を根拠に日本軍が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から自衛隊海外派遣は長らく行われてこなかったが、自衛隊ペルシャ湾派遣や自衛隊カンボジア派遣を契機に開始された。第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の戦闘を経験していない。連合国軍の占領下にあった1950年(昭和25年)、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊(特別掃海隊)が派遣されたことがあり、死傷者も出している。が、それでも軍隊や民兵を相手に直接、交戦した経験はなく、実際の戦闘においての能力は、未知数である。
(イギリスの経済紙・エコノミストの調査部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが平和の指標として24項目を数値化する)「世界平和度指数」の2009年(平成21年)度版によると、戦争・内戦・テロ、それによる死傷者が無く、軍事費のGDP比が低く、犯罪率が低いことなどから、ニュージーランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オーストリア、スウェーデンに次いで7位に評価され、2010年には3位とされている。。
ただ、この指標には海外(アメリカなど)から軍事的庇護の下にある日本などに対して、有利すぎるとの批判が出ており、エコノミストも自ら認めている。以下のような政策・傾向を継続している。
● 防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しい低水準に抑えられている。
● 兵員・戦車・作戦機・軍艦の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国の能力によって補完する。
● 近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な軍縮でなく、単独で一方的・自主的に軍縮する。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計によると、以下の通りである。
● 国内総生産(GDP)に対する軍事費の割合ランキングは、世界の150位前後である(これは、アメリカ中央情報局(CIA)の発行する CIA World Factbook の統計においても同様である)。
● 2008年(平成20年)度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで463億(アメリカ)ドルであり、1位のアメリカ合衆国、2位の中華人民共和国、3位のフランス、4位のイギリス、5位のロシア、6位のドイツに次ぎ、世界7位である[SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>The 15 major spender countries in 2008(table) 2009年10月6日閲覧]。
● 1999年(平成11年)~2008年(平成20年)の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している(これについては、同盟国であるアメリカからも懸念が示されている)。
このように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界7位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。
● GDP そのものが大きく、国力が高い。
● 円が強い通貨である。
● 広大な領海・EEZと長大なシーレーンを抱える。
● 周囲を軍事大国に囲まれる。
● 規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指している。高コストな装備を調達する傾向にある。
● 発展途上国に比べ、人件費が高い。
● 装備の国産化を指向するにもかかわらず、武器輸出三原則で輸出を自粛しているため、購入単価が下がらない(あくまで自粛であり、見直しの議論もある )。
● 要員
: 2009年(平成21年)における自衛官の定員(千人未満を四捨五入)は、陸自が約15万2千人、海自が約4万6千人、空自が約4万7千人、合計24万8千人、実数は、陸自が約14万4千人、海自が約4万3千人、空自が約4万4千人、合計23万3千人である。また、予備役に相当する予備自衛官等が約4万8千人であり、現役と比べての割合が非常に少ない。防衛省の文官は、2万2千人である。
● 装備
: 高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。また、他国の製品であってもライセンス生産を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、他国の意志に左右されず兵器本体及び保守部品の生産ができ、製造ノウハウも蓄積する事ができる。そうすると輸入兵器より保守・管理の効率、ひいては稼働率を高く保つことができる。定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有すること、公開演習などを通じて知られる高い練度などが、高く評価される。
● 予算
2008年(平成20年)度の GDP に対する防衛費の割合は、SIPRI の統計による世界全体の GDP に対する軍事費の割合2.4%に対し、0.94%である。
2009年(平成21年)度の防衛に関連する予算の総額は、4兆7741億円(本体予算4兆7028億円+沖縄に関する特別行動委員会費112億円+米軍再編関係費602億円)、前年比で55億円(0.1%)減で、2002年(平成14年)度をピークに2003年(平成15年)度から2009年(平成21年)度まで7年連続で微減傾向である。冷戦の時代、ソビエト連邦が最大の仮想敵国であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。しかし、ソ連崩壊による冷戦が終結後は、軍拡を続ける中国や水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮が最大の脅威となり、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。
● アメリカ以外との安全保障協力
2007年(平成19年)3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年(平成20年)10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。
● 核抑止
: 日本は広島・長崎の被害経験から、国民レベルでは核抑止論に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも非核地帯宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、同盟国であるアメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が核兵器の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとのニュークリア・シェアリングを検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府および国会に議席を持つ全ての政党が核兵器の開発・保有に反対している。
● シーレーン防衛
1980年代より日本の海洋国家論の高まりと同時に、軍事のみならず、経済・食糧・エネルギー・環境などの総合安全保障の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との貿易での立国を維持する上でシーレーンの防衛(海戦や通商破壊などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、また、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊やテロも、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、非対称戦争に対応した国際的な警察力の強化、そして、紛争予防も、重要な課題となっている。
● 中華人民共和国
21年連続で国防費の2桁成長という急速な軍拡を続け、軍事力の近代化を進めている。その安全保障政策は、実態や将来像、意思決定の過程が不透明である。日本とは海を挟んで接しているが、中国は外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢を強めており、周辺国と係争や紛争を行っている。中でも台湾の併合(台湾回収)は国是となっており、独立の動きあれば武力侵攻するすることを示唆している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、中国の領有を主張している[論壇や世論には沖縄全体の領有権(琉球回収)さらには日本本土の歴史的領有権が中国ある主張すらみられる]。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米同盟の維持・強化を図る。近隣の文化を取り入れつつ独自に発展した。文化とは、人間の集団あるところに常に存在する以上、縄文時代から何らかの文化が存在したのであろうが、文字を持たなかった故、現在に知る術が無い。南方からの伝搬も想定されるが、少なくとも表面的には、大きな影響を残さない。
4世紀頃から9世紀頃まで、渡来人により、大陸の文化が伝わった。日本も遣隋使・遣唐使や留学生を派遣し、積極的に中国の文化を取り入れた。
大陸との往来が減った10世紀頃から、これらの輸入された東アジア文化が日本に特有の文化へと発展する。12世紀頃、北宋との貿易によって紹介された禅宗が禅に発展し、喫茶の習慣も禅宗の寺院に定着する。14世紀から16世紀の間、特に東山文化で、猿楽(現在の能楽)や茶の湯(現在の茶道)、枯山水などの庭園や書院造などの建築といった、現在に伝わる「侘び・寂び」(わび・さび)の概念が生まれた。
16世紀の半ばからヨーロッパの文化がもたらされ、刺激を与えた。しかし、後のキリスト教禁教や鎖国により、後世への影響は、喫煙の習慣などを除き、地域的に止まった。17世紀以降の江戸時代には、国内の安定や鎖国による閉鎖された環境の中で再び独自の文化が発展し、歌舞伎、浮世絵などが大衆に広がった。
この間、アイヌの文化は日本の周縁文化圏として独自の様相を見せる。また、琉球は本土との交流を持ち続けつつも、日本の他の地域とは異なった独自の道を歩む。この状況は、明治維新によって一応の区切りが付く。
明治維新の後、西洋式の独立国家としての体裁を整えた。廃仏毀釈や文明開化に見るように国策として伝統文化が抑圧され、欧米の文化が急速に取り入れられた。特に都市部で様々な物の欧米化が進み、庶民の生活に大きな影響を与えた。一方、日常生活では、伝統的な生活習慣が根強く残り、特に地方では依然として伝統的な文化が維持されていた。それが解体されるのは、第二次世界大戦後の高度経済成長以降である。
大正期には、経済の好景気などを受け、アメリカ合衆国の文化を取り入れた映画やスポーツなどの享楽的な文化が流行した。しかし、昭和に入ると、第二次世界大戦の戦時下で欧米風の文化が厳しく制限された。
1945年(昭和20年)に政府がポツダム宣言を受諾すると、アメリカ軍を中心とした連合国軍最高司令官総司令部が日本の政治改革を進め、それと共にアメリカ文化も日本人に受け入れられた。冷戦下の独立とともに西側諸国に組み入れられた日本は、アメリカ流の生活・文化を目標とするようになる。
高度経済成長期に至ると、従来の生活習慣も大幅に変わり、伝統的な文化の多くが忘れられる様相を呈するが、一方、自信をつけた日本人は、自らの文化を再評価するようになる。例えば、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)の太陽の塔は、縄文の芸術をモチーフにしたものとされる。
また、大衆文化(サブカルチャー)における漫画やアニメ、テレビゲームといった新しく生まれた独自の表現も世界に発信され、様々な摩擦を乗り越えながら、若い世代を中心に広がっている。
● 日本文学
和歌 / 短歌 / 俳句 / 川柳 / 狂歌 / 都々逸
● 日本美術
日本画 / 浮世絵 / 水墨画 / 春画 / 日本人形
● 伝統工芸品(民芸品)
日本刀 / 鎧 / 兜
● 日本建築史
日本庭園 / 神社建築 / 日本の住宅 / 風呂 / 日本の温泉地一覧
● 和服
日本髪 / 作務衣 / 羽織 / 袴 / 足袋 / 下駄 / ふんどし / 扇子
● 武士道
侍 / 家紋 / チャンバラ / 城 / 歴史書一覧 / 忍者
● 武芸 (日本)
稽古 / 残心
; 武道
: 古武道 / 相撲 / 柔道 / 剣道 / 弓道 / なぎなた(薙刀術) / 棒術 / 日本拳法 / 日本泳法 / 居合道 / 合気道
: 琉球古武術 / 手 (沖縄武術) / 空手道
: これらの一部は、世界に紹介され、総合格闘技や近接格闘術(CQC)、テコンドーやサンボの成立に大きな影響を与えた。また、国が公式に認めたものでないものの、一般に相撲が「国技」と認識される。
; 芸道
: 茶道 / 華道 / 書道 / 花押 / 日本舞踊 / 香道 / 盆庭 / 盆栽
● 伝統芸能
; 純邦楽
: :: 雅楽(和楽器) / 神楽
:; 能楽
:: 能 / 式三番 / 狂言
: 文楽 / 歌舞伎
落語 / 講談 / 浪曲 / 漫才 / 新喜劇 / 猿まわし
芸妓(年少芸妓) / 舞妓
● 日本現代芸能史
演歌 / J-POP
日本映画
● 伝統の遊戯
闘犬 / 闘鶏 / 闘牛 / 昆虫相撲
将棋 / 囲碁 / 花札 / かるた / 影絵 / 蹴鞠
じゃんけん / かくれんぼ / 鬼ごっこ / 影踏み鬼 / めんこ / おはじき / すごろく / 折り紙
あやとり / かごめかごめ / お手玉 / 手まり / 羽根突き / 独楽 / 凧 / 竹馬
● 現代の遊戯
競輪 / ゲートボール / 模型(も参照)
● メディアアート
日本のメディア芸術100選 / 日本の漫画 / アニメ / テレビゲーム / オンラインゲーム(日本のインターネットも参照)/ ネットサーフィン
● 日本の世界遺産
国際連合教育科学文化機関の世界遺産リストに登録された11件の文化遺産、3件の自然遺産がある。現在、日本人の大半は、特定の宗教を信仰しているという自覚が弱い。公立学校では、憲法の政教分離規定に基づき、宗教教育が実施されない。宗教学部や学科を置く大学も多くない。そのため、日本人の多くは、自らの宗教心や身についた宗教的な伝統について自覚的でないことが多い。神道は、正月の初詣に限れば他の宗教に比肩しえない動員数を有する(2006年(平成18年)の正月三が日の神社の参拝者数:のべ9000万人)が、これも現在では、クリスマス等と同じくイベント的な側面が強く、これを厳密な意味での宗教行為と考える学者も少ない。また、神道の重要な神事である祭は、その土地ごとの特色で様々な時期に開催されるが、祭の主催者や参加者は、共に概ね特定の氏子やボランティアで完結する例が多く、多くの一般住民にとって外から観覧して楽しむものであり、儀式としての当事者的な参加意識は、希薄である場合が殆どである。
日本の宗教の信者数は文部科学省の宗教統計調査では、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人とされている。
日本では、日本固有の信仰である神道と外来の思想である仏教とが広く信仰され、半ば融合した神仏習合として分業的に共存した。神道と仏教は明治維新後の神仏分離を経て、明確に区別されたが、神仏習合は各地に残る山岳信仰などにその名残をとどめている。カトリックやプロテスタントなどのキリスト教徒も存在するが、洗礼を受けた正式な信者は、総人口の1%を超えず、教会も社会に強い影響力を有さない。いっぽう、キリスト教徒である著名な文学者や思想家など文化人の社会的な影響は、必ずしも小さくない。しかし、クリスマスなどいくつかの儀式・祭礼は、しばしば本来の宗教と関係なく世俗的な年中行事として広く受容される。ムスリムやユダヤ教徒は、在日外国人を除けばわずかである。● スポーツ
: 19世紀後半にアメリカ合衆国から伝わった野球が国民的なスポーツとしての地位を得た。1934年(昭和9年)に大日本東京野球倶楽部が結成され、1936年(昭和11年)に国内初のプロフェッショナルスポーツである日本職業野球連盟が発足した。以降、最大のメジャースポーツとしての地位を確立した。
長く日本プロ野球が一強に君臨する時代が続いたが、1993年(平成5年)の日本プロサッカーリーグが発足して以降、サッカーもメジャースポーツの1つとして認知されるに至る。2001年(平成13年)より、全てのスポーツを振興するための資金の捻出を目的とし、スポーツ振興くじが全国で開始された。
また、公営競技として日本に発祥の競輪や競艇、オートレース、そして外来である競馬が存在する。日本の競馬の最大の主催者である日本中央競馬会の売り上げは世界一であり、平均的な賞金も非常に高い。
● マスメディア
: 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞が三大紙である。経済紙である日本経済新聞は、株価欄を始めとする経済に関連する記事の比重が高い。更に、産経新聞を加えた5紙が全国紙である。
放送は、国営放送が存在せず、公共放送を担う日本放送協会(NHK)、及び多くの民間放送により、成り立っている。主に電波法、放送法などによって規制される。衛星放送は、官民が協力して複数の放送衛星・通信衛星を利用している。ケーブルテレビは、衛星放送に比べると普及していないが、近年、ISP(日本のインターネット)や、VoIP技術を用いたIP電話を中心とする直収電話など、電気通信役務を提供する電気通信事業者としての面をも有する。
プレートや火山が混在し、また、台風の通り道に位置するなど、常に災害と隣り合わせだった風土から、これらの自然災害を未然に防ぐため、緊急警報放送が普及し、実情に合わせて緊急度の見直しが度々なされている。特に、地震や津波などの報道においては、(津波警報、津波注意報、津波予報など)津波情報の速報体制が敷かれる。豊かな漁場や肥沃な農地に恵まれ、良質な食材の入手が可能である。良質で豊富な飲料水にも恵まれ、伝統的な和食の他にも世界中の食文化を取り入れた。世界で最も食文化の豊かな地域の一つと言える。ただし、日本の人口の多さから、カロリーベースの食料自給率は低く、食料輸入国である
● 主食・副食
日本人は、主食・副食(おかず)の区分の意識が強く、両者を別々に容器に盛り、同時に食べるのが一般的である。それによって各人のペースで主食と様々な副食との割合を調整する。代表的な主食は、米を炊いた飯である。また、パンや麺も大きな地位を占める。芋は、かつて救荒食として重要な地位にあったが、現在は主食として扱われることはまずない。主要穀物では米のみ、ほぼ国内で自給し、コムギ、トウモロコシ、及び豆類は、大半を海外から輸入している。副食は、出汁(だし)と呼ばれる旨味の味付けが重視される。
● 海産物
四方を海に囲まれ、漁業が特に盛んであり、利用される魚介類も実に多い。ナマコ、ホヤ、クラゲなどの世界的に珍しい物をも含めて多様な海産動物を利用し、コンブなどの海藻も重要な位置を占める。調理法も多様で、寿司・刺身による生食も定着している。
● 食肉
平野が少なく牧草地に恵まれず、殺生を忌む仏教の影響から家畜の肉を食べる習慣も一般的でなかった(ただし、野生動物や鳥類はしばしば食べられていた)。しかし、海外の食文化の流入に伴い、肉食は完全に一般化した。学校給食などの影響から、東アジアとしては例外的に乳製品を利用する習慣も定着している。現在は乳製品、鶏卵、鶏肉の自給率が比較的高いが、牛肉、豚肉は、輸入が過半を占め、国産の肉は、主に産地ブランドなどで高級品を志向する。飼料は大半を輸入に依存する。
● 野菜など
伝統的に人糞を肥料として栽培されてきたため、生食の習慣がなかったが、戦後、清潔な野菜が供給されるようになり、サラダなどの生食も一般化した。海外からの輸入も増えているが、農薬が残留した野菜が少なからず輸入され、問題になることもある。
● 携帯食・保存食品
伝統的に、おにぎりや弁当、漬物、さまざまな乾物などが利用されてきた。現在、インスタント食品や冷凍食品などの加工食品、パンやビスケット類など、多様な食品が利用される。
● 嗜好品
伝統的に緑茶や和菓子が親しまれてきた。現在、世界中の茶飲料が飲まれるようになり、コーヒーや紅茶、ココアや烏龍茶など多様なソフトドリンクが日常的に飲まれ、洋菓子も広く親しまれる。菓子類や清涼飲料水は、自動販売機やコンビニエンスストアなどで簡単に購入できる。また、喫茶店も広く営業されている。
● 酒類
伝統的に米を原料とする日本酒に加え、米や芋、ムギなどの多様な作物を原料とする焼酎が飲まれてきた。現在、ビールやワイン、ウイスキーなども一般化するなど、世界中の酒類を購入できる。ただし酒税法により、どぶろくなどの自家生産が違法とされている。
● 外食産業
蕎麦、うどん、寿司などの伝統的な和食のファーストフードの他にも、日本人の好みに変化した洋食や中華料理が非常に発達している。また、1970年代以降、アメリカから進出したファーストフードなどが普及したほか、アジアやヨーロッパの食文化も流入し、大都市では世界中の料理を食べることができる。また、持ち帰り惣菜・弁当などの中食産業も発達している。● 戦前
主に家族や地域社会における相互扶助によるものとされたが、軍人をはじめ公務員に特有の恩給制度があった。1942年(昭和17年)に戦費の調達を目的に発足した労働者年金保険が、日本の社会保障制度の始まりである。1944年(昭和19年)に厚生年金保険法が制定されたのを契機に民間労働者の厚生年金も普及した。並行して民間企業における熟練労働者の長期雇用、年功賃金、企業年金、退職金といった、戦後の日本型福祉社会を担う企業福祉も普及した。
● 戦後
日本国憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、すなわち生存権の実現を目ざした。政府は、「最低限度の生活を営む」ための児童保育、学校教育、職業訓練、雇用保険(1974年(昭和49年)までの失業保険を継承)、障害者介護・自立支援、生活保護といった福祉サービスを提供しつつ、企業福祉を充実させる社会政策を採用した。その過程で職域保険から外れた対象を救済するため、1958年(昭和33年)に官庁や企業に組織化されない対象のために国民健康保険が発足し、1961年(昭和36年)年以降、ほぼ'''国民皆保険'''が実現した。また、1959年(昭和34年)年に企業年金や職域年金から外れた対象のために国民年金も発足した。
● 近年から現在に至る社会問題
1970年代以降、家庭や企業、地域社会における相互扶助を重視する考え方(日本型福祉社会論)が主流となった。職域ごとに分立した社会保障制度の一元化の実現せず、近年に至っては、企業福祉から疎外された非正規雇用者が増加する一方、アメリカ型の'''低福祉・低負担'''が目指され、その結果、保険料を支払えない貧困層の存在が社会問題となっている。
また、少子高齢化による医療費負担の増大に伴い、財政の逼迫した健康保険組合が増え、'''組合管掌健保'''や'''協会けんぽ'''の保険料率や国庫負担率の引き上げが議論される。現在、毎年のように国民年金保険料や厚生年金の負担率が引き上げられて現役世代への負担が増し、公的年金の世代間格差が問題になっている。● 寿命
2006年(平成18年)度の平均寿命は、男性79.0歳、女性85.8歳である。また、世界一の長寿である。また、健康寿命でも、男性72.3歳、女性77.7歳(2001年〔平成13年〕)と、これも世界一の長寿である。
● 主な死因
終戦直後まで結核などの感染症が多かったが、現在(2003年(平成15年) / 2004年〔平成16年〕)、一に悪性新生物(癌)、二に心疾患、三に脳血管疾患と、生活習慣病を中心とする慢性疾患が主である。しかし、今日でも結核による死亡率も高い。
● 医療従事者の人数
世界最低レベルの周産期死亡率・平均余命を達成する一方、2004年(平成16年)度の統計値によると、人口1000人あたりの医療従事者の人数は、医師が1.98、歯科医師が0.71、看護師が7.79、助産師が0.19、薬剤師が1.21であり、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中でも最低グループに属し、日本を上回る開発途上国すら多く存在することなどから、その不足が指摘されている。
● 保健(健康)への支出
GDP に占める比率が7.8%、政府が負担する比率が81.3%で、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中における標準的な水準である。
急速に進む出生率の低下・労働世代人口の減少・高齢化社会への対応として、国民健康保険料の増額、医療費自己負担分の増加、後期高齢者医療制度の導入など、一連の医療制度改革により、負担が増加する傾向にある。近年、これら医療費への支出を抑制する政策によって医療のサービス水準も低下し、病院の70%が赤字経営で、産科や救急医療の廃止などの重要な機能の停止は、各地で社会問題となっている。
● 検疫など
近年、大学の医学教育や基礎医学研究の場における感染症や寄生虫症の扱いが後退し、麻疹の輸出国として非難されている。また、海外からの病原体の移入や海外旅行者が帰国した後の感染症・寄生虫症などの発症に対しての態勢にも危惧が抱かれている。現在、いわゆる少子高齢化が進む。
● 少子化・育児・子育て
一時は、明治以降の近代化の過程で、乳児の死亡率の低下や国力の上昇によって人口の激増が起こった他、戦後のベビーブーム(団塊の世代)により、若年層ほど多いピラミッド状の構成となった。しかし、高度経済成長以降、一人の女性が生涯に産む数(合計特殊出生率)も世界最少レベルの1.3近くまで低下した。その原因として、以下などの複合的な要因が指摘される。
医学・医療の向上による、死亡率の減少。
教育水準の向上による、学費負担の増大。
公的な育児支援の不足。
長時間労働による育児のための時間の不足や、仕事と育児との両立の困難さ。
核家族化による、祖父母からの扶助の減少。
地域社会における相互扶助の希薄化。
育児以前に、結婚すら出来ない低所得者層の増大。
政府は、出生率の低下を深刻な問題とし、現在の人口を維持できる2.0〜2.1前後までの増加を理想とするが、有効な対策が成らず、その見通しも立たない。2010年(平成22年)4月より、子ども手当法が施行されたばかりである。
● 高齢化社会・介護
経済的に豊かになったことや医学・医療の向上により、平均寿命・平均健康寿命が世界で最も高い国になったが、同時に、介護が必要な高齢者人口の増加にも至った。(育児と同様、)時間の不足や仕事との両立の困難さ、核家族化による祖父母の世代との別居や高齢者のみ(夫婦2人や1人)世帯の増加、地域社会における相互扶助の希薄化などが複合的な要因となり、伝統的に行われてきた家族による高齢者の介護が困難となったことから、2000年(平成12年)に介護保険が創設され、家族・行政・地域社会の協力による政策に転換した。しかし、不十分な経験や、激務に比して低額な介護報酬ゆえに事業者や従事者が十分な収入を得られないこと、行政の必要十分な予算の不足などの複合的な要因により、様々な需要に対する必要十分なサービスの提供に至らない。世界保健機関(WHO)の統計(2007年〔平成19年〕)によると、WHOに自殺統計を報告する101か国の中における自殺率の順位は、高い方から第11位であり、人口一人当たりのGDPが20,000ドル以上の国々の中では、第1位である。
政府は、この先進国でも極めて高い自殺率を重要な問題と認識し、その原因については、宗教・死生観など日本人の様々な精神性が仮説として提示されるが、依然として解明されていない。但し、諸国と比較し、社会全体で自殺を包括的に予防する対策の不備が指摘される。2006年(平成18年)に自殺対策基本法が制定されたが、基本的な枠組みを規定するに止まり、具体的な制度や政策の規定に乏しい。1990年(平成2年)時点の識字率は、99.8%(男99.9%、女99.7%)。日本国籍を有する6歳から15歳までの9年間(学齢)を対象とする義務教育が実施される。一般には、小学校6年間、中学校3年間。特別支援学校については、小学部6年間、中学部3年間。中等教育学校については、前期課程3年間。なお、中学校を卒業した内の約96%が高等学校に進学する。世界的にも多くの分野で高水準のテクノロジーを有する。国際特許の出願数は、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位、特許収入もアメリカに次ぐ世界第2位の黒字国である。
● 環境・エネルギーに関連する技術
世界的にも高水準の技術を有する。日本における普及率で言えば低いが、ディーゼルエンジンの特許の出願数は、世界第1位である。バイオ燃料や太陽光発電など新エネルギーの研究も盛んだが、普及面で言えば諸外国に立ち遅れている。
● 情報技術
MPU(CPU)設計やソフトウェアに関してアメリカに劣るものの高水準の技術を有する。一方、ハードディスクドライブ(HDD)、フラッシュメモリや液晶ディスプレイの生産では、韓国や台湾に押されているが、光ファイバーや結晶引上技術など素材に関する研究に厚みがあり、その基礎技術は、依然として優位である。
● 原材料・ナノテクノロジー
世界的にも高水準の技術を有している。特に複合材料を得意とし、自動車産業・造船・防衛産業などを支える。
● 先端計測技術
磁力や近接場マイクロ波、中性子の利用技術、複合計測技術などは、高い水準にあるが、イオンやレーザー利用技術などは、低水準である。
● ライフサイエンス(生命科学)
アメリカ、そしてヨーロッパ全体に次ぐ3番手の位置にある。幹細胞に関連する技術についても人工多能性幹細胞(iPS細胞)の技術で世界を先行するが、幹細胞に関連する技術の全体で言えば、特許の出願数の半分以上がアメリカで、以下、EU、日本と続く。
● 宇宙開発
: 人工衛星を打ち上げた個数の累計は、旧・ソビエト連邦、アメリカに次ぎ、世界第3位である。資本主義・市場経済を採用する工業国であり、2009年時点で、国内総生産(GDP)がUSドル時価換算の為替レートで世界第2位(購買力平価(PPP)で世界第3位)に位置する経済大国である。一人当たり GDP は2009年時点で、USドル時価換算で世界第17位、購買力平価(PPP)で世界第23位である。
通貨である円(¥, yen, JPY)は、高い信認を有する国際通貨の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。1964年(昭和39年)に経済協力開発機構(OECD)に加盟し、サミット(主要国首脳会議・当時のG5・後にG7・現在のG8)にも1975年(昭和50年)の第1回から参加するなど、その動向も世界経済に強く大きな影響を与える。明治以来、西欧型の民法典を導入し、財産権を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の戦時体制を経験した後、物価統制令や傾斜生産方式、外貨準備に伴う割当制など、通産省や大蔵省が主導する護送船団方式により、製造業を軸に高度経済成長を果たした。1968年(昭和43年)、国民総生産(GNP)ベースでアメリカ合衆国に次いで第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して失業率も低く、「最も成功した社会主義国家」と言われた時代もあった。1974年(昭和49年)のオイルショックを機に安定成長期に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業が急成長する産業構造の転換が進んだ。円高が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、自動車産業など、比較優位で競争力の高い輸出産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。 1990年代前半にバブル景気が崩壊したことによる不況で、「失われた10年」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろんのこと、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や東アジア諸国を大幅に下回っている(1991年から2009年までの日本の平均経済成長率は0.8%)。
● 格差社会
高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる貧困層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、貧富の差が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構(OECD)の統計によれば、2005年(平成17年)度の貧困率は、OECD加盟国(30ヶ国のうち、貧困率を統計する17ヶ国)の内の第2位、15.3%である。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や賃金の低い非正規雇用の増加が挙げられる。税制や社会支出は、一般に格差是正の機能を有するが、日本では国民年金や国民健康保険、介護保険の逆進性が高いため、富の再分配が逆に格差拡大につながってしまっていることが示されている。
● 債務;
1990年代以降における財政政策により、公的債務(国・地方の合計)が1100兆円以上となっているが、その殆どは国内で消化しており、外国に対する債務は皆無に近い。
小さな政府
人口に占める公務員の比率が低く、経済に占める公営企業の規模も小さい。企業内福祉や家庭・地域社会での相互扶助を重視した社会保障制度を構築することにより、諸外国に比べて「小さな政府」を実現している。近年、行政改革が論じられ、公務員の更なる削減や民営化が進められている。● 農業
他国と比較して生産量が多い農産物は、生糸、キャベツ、イネ(米)、サツマイモ、タロイモ(主にサトイモ)、茶、ホップなどである。
米は、日本人の主食であるが、他に米を主食とする諸国も多いため、1100万トン(世界シェア1.9%)の生産量に止まる。
キャベツ、タロイモ栽培は、世界第5位である。
畜産業(畜産)では、養鶏が盛んであり、鶏卵の採取量は、世界第3位である。
● 林業
1970年(昭和45年)以降の木材の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。
● 水産業・漁業
漁獲高は、2002年(平成14年)時点で世界第5位(440万トン)である。
● 貿易(輸入・輸出)
食料自給率は、60%を世界各地からの輸入に頼るため、約40%と低い。近年、食の安全への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での魚介類を消費する習慣の広がりにより、水産物の輸出が急増している。
● 従事者
高齢化が進み、将来の人材の育成が課題である。● 鉱業
地下資源は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される鉱物の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〔平成13年〕)の320万トンを産出する硫黄、そして、世界第2位(2005年〔平成17年〕)の6500トンを産出するヨウ素である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや石炭の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年(平成13年)時点)。金属資源は、亜鉛の4万3000トンを筆頭に、鉛、銅を産出する。この3金属は、いずれも非鉄金属として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、石灰岩(セメント原料)、珪石(水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。
現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における新エネルギーとして注目を浴びている。近年では、都市鉱山という考え方も普及し、日本に蓄積される貴金属やレアメタルの埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される家電や電子機器などから、これらをリサイクルする事業活動も広がりを見せる。
● 工業
基幹産業であり、特に素材・金属加工・造船・土木工学・機械工学・電気工学・電子工学などの製造業は、世界最高水準の技術を維持する。原油・ゴム・鉄鉱石などの原材料を輸入して自動車、電気製品、電子機器、電子部品、化学製品などの工業製品を輸出する加工貿易が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの半製品の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。
トヨタ自動車や日産自動車、本田技研工業などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第2位の保有台数を記録する。
: 一方、航空宇宙産業(航空宇宙工学)・医薬品化学・バイオテクノロジー・情報技術などの新しい産業の分野においては、必ずしも最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの新興国の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、ナノテクノロジーや民生用のロボット工学などに活路を見出そうとしている。2002年(平成14年)時点の主要な輸出の相手国は、金額ベースで28.9%を占めるアメリカ合衆国、中華人民共和国(9.6%)、大韓民国(6.9%)、香港(6.1%)、シンガポール(3.4%)である。アメリカ合衆国、東アジア、東南アジアへの輸出を合わせて55%を占める。輸入の相手国は、アメリカ合衆国(18.3%)、中国(17.4%)、韓国(4.6%)、インドネシア(4.2%)、オーストラリア(4.2%)であり、以上で48.7%を占める。貿易収支は、黒字(2004年(平成16年)に約14兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで自動車(22.3%)、機械類(21.6%)、電気機械(20.5%)、鉄鋼(3.7%)、化学薬品(3.1%)の順である。主な輸入品は、電気機械(12.2%)、機械類(11.2%)、原油(10.8%)、衣類(5.2%)、天然ガス(5.2%)である。
日本の産業は、発展の過程で間接金融による資金調達を広く用いたため、銀行が経済に与える影響が大きい。銀行は、融資で土地資産を担保に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、直接金融や市場型間接金融への転換が進められている。金融機関では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる不良債権問題が長引き、1990年代初頭に金融危機を引き起こした。しかし、政府主導で大合併が行われて公的資金を注入しての強引な解決が図られ、その後は、超低金利政策の下、高収益を上げるようになった。日本銀行は、2006年(平成18年)にゼロ金利を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人消費の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、それ以上の金利引き上げに至っていない(2007年〔平成19年〕)。
また、継続的な経常黒字により、世界最大の債権国であり、世界経済からの配当や利子の受け取りが次第に増大している。古くから北太平洋及び北東アジアの交通の要所として海運や航空において重要な位置を占め、世界的に有数の規模の海運会社や航空会社が存在し、各国を結ぶ。また、アジアにおいて最も早く鉄道を導入した国の一つであり、私鉄による鉄道網が全国を網羅している。また、高度経済成長以降、モータリゼーションが進み、道路網・高速自動車専用道路網が発達している。
● 航空
: 1950年代以降、日本航空が日本のフラッグ・キャリアとして国内外に路線を広げ、アフリカを除く全大陸へ就航し、現在もアジアのみならず世界でも有数の規模を誇る航空会社として知られていたが、2010年、会社更生法の適用を受けた。また、1980年代まで国内線のみを運航した全日本空輸は、現在、アジア圏を中心に欧米へ国際線を運航する。
1990年代以降の規制緩和を受け、スカイマークや北海道国際航空、スカイネットアジア航空などが新規参入し、国内航空運賃の引き下げに寄与した。
地方を中心に空港インフラが充実し、国内に98もの空港を有する。一方、都市部(特に関東地方)における空港インフラは、整備途上で慢性的な容量不足であり、航空運賃の低下や路線網の充実の足かせとなっている。
● 鉄道
: 明治維新以降、1872年(明治5年)10月14日の新橋駅~横浜駅(現・桜木町駅)間の開通を皮切りに、国策として全国に鉄道網が急速に敷設され、日本国有鉄道(国鉄)や他の数多くの私鉄へと発展した。1970年代までに私鉄、国鉄ともに多くの路線が電化され、世界に例を見ない規模で分刻み・秒単位のスケジュールで運行され、その規模、技術、運営ノウハウ共に世界最高水準と言われる。
1964年(昭和39年)に国鉄(現在のJR)によって導入された新幹線は、都市間を結ぶ高速鉄道として空路に並ぶ地位を築き、在来線と規格が異なるので全国で開通していないが、整備が続く。都市圏では、それに地下鉄やモノレールが加わる。更に、近年の環境問題の意識から路面電車が見直され、富山県などでライトレールが導入されている。
2003年(平成15年)8月の沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の開通によって全ての都道府県に広がり、2004年(平成16年)の時点での全国における総全長は、23,577 kmである。
特筆すべきは、高速鉄道網による国内航空路線の置き換えを実現しつつあることで、過去にも新幹線各路線の開通に伴って平行する航空路線が順次整理されており、北海道新幹線・リニア中央新幹線の開通によって東京発着の国内航空路線は大幅に削減される予定である。
● 道路
: 高度経済成長以降、自動車産業の保護を目的に、国内における陸運の主力をトラックにする政策が採用されたことなどから、全国的に道路・高速道路の整備が進められた。しかし、近年、都市部を中心に慢性化した渋滞や通行料の高さ、駐車スペース確保の困難さ、環境問題への対策として、鉄道や航空機などの公共輸送、船舶輸送などが見直されている。
2004年(平成16年)時点での舗装された道路の全長は、1,177,278 kmである。
● 海運
: 四方を海に囲まれ、欠かせない運送手段であり、沿岸部に工業地帯や人口が集中する理由でもある。日本郵船や商船三井などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に貨物船や旅客船を運航してきた。現在、中東や東南アジアから石油や天然ガスなどの資源が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。国内航路においても大小の船会社によって多数の貨客フェリーや高速船が運航される。また、造船分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。谷岡一郎、仁田道夫、岩井紀子『日本人の意識と行動』東京大学出版会 ISBN 978-4-13-056101-3 日本の観光
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