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義親'''(ぎしん)とは
生物学的な
親である実親(じっしん)に対して「義理」や「法律上」の親を指す。生物学的な親ではないため、対象者より年上であるとは限らない。
男性の
義親のことを'''義父'''(ぎふ)といい、
女性の
義親を'''義母'''(ぎぼ)という。
義親の中にはいくつかのケースがあるので、それぞれについて詳述する。
義親を参照。'''
新'''(しん、
8年 -
23年)とは
中国の
王朝。
前漢の
外戚であった
王莽が前漢最後の
皇太子の
孺子嬰より
禅譲を受けて立てた。
成帝の時、王莽は
新都侯(
新都は
荊州南陽郡に在る)に封じられたことにより
国号を
新とした。
周の時代を理想とした
政策を行なったが、その
理想主義・
復古主義的な政策は当時の実情に合っておらず、国内は混乱。また、
匈奴や
高句麗に対して高圧的な態度を取ったためにこれらの離反を招くなど、その統治は失敗に終わり、国内には不満をもつものが多くなった。
具体的な政策としては、古代の名称にあわせた地名や役職名の頻繁な改名、
小作農民のための
農地の
国有化、
奴隷売買の禁止、
高利貸しに対し、国家による安い金利での融資などを行った。また
新貨幣を鋳造し(制度が複雑で経済が混乱したあげく、私銭鋳造を認めるまでになった)、
塩や
鉄を国が
専売制とするなどの政策があったが、経済政策では
地主や高利貸し等から、貨幣鋳造や塩鉄の統制では民衆から、大きく不満と反対が起きた。
遠征も繰り返しており、匈奴には30万人、西南の
句町国には20万人の兵を派遣し、後者では6~7割が餓死・疫病で死んだとされる。
やがて
赤眉・
緑林の乱が起こり、
更始帝の軍により
長安を落とされて王莽は殺され、一代限りで滅んだ。
新から
後漢への移り変わりは
新末後漢初を参照。
新を参照。
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