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義親'''(ぎしん)とは
生物学的な
親である実親(じっしん)に対して「義理」や「法律上」の親を指す。生物学的な親ではないため、対象者より年上であるとは限らない。
男性の
義親のことを'''義父'''(ぎふ)といい、
女性の
義親を'''義母'''(ぎぼ)という。
義親の中にはいくつかのケースがあるので、それぞれについて詳述する。
義親を参照。'''
裏ビデオ'''(うらビデオ)とは、主として
性器部分に修正(
モザイク処理等)を加えず
性交場面などを収録している
わいせつ映像作品(
アダルトビデオ)である。
日本においては、多くは法に抵触し、
わいせつ物頒布罪に該当する可能性が高いため、流通・販売が「表」では出来ず「裏」で行われるためこう呼ばれる。1980年代頃より業界と市場が存在した。ここでは主に日本の
裏ビデオについて記述する。DVDによる違法ポルノ映像作品については
裏DVDを参照。
また、
わいせつ以外の「
裏ビデオ」については下記の
非性的なものを参照。
裏ビデオを参照。'''
全集'''(ぜんしゅう)という言葉は、主に特定の人物の全著作、全文章を収録したもの、または主な著作等を選び編集したもの、また特定の時代・国や地域の主要な文学的著作を編纂したもの、和洋の美術・歴史的文化財を撮影した写真をまとめたもの(
日本古典文学全集、世界
美術全集など)などに使われる。
「
全集」という言葉を字義通りに解釈すれば、たとえば特定の作家の
全集の場合、作品だけでなく日記、書簡、雑記やメモその他、著者の手になる文章すべてを収録する完全
全集ととれるが、実際には、一般の読者にとって一定程度以上の意味のあるものだけを選んで編集したものを「
全集」と名づける場合が多い。これは出版社の立場から言えば、たとえば、セットの商品として消費者に不完全な印象を与える可能性のある「選集」や「作品集」よりも使いやすいからであると予想される。
また、
大正時代以降盛んに出版されたもので、「世界文学
全集」「日本文学
全集」などと称するものがある。これらは代表的な小説家の主要作を収めるものであるが、ページ配分があるため、読みたい作品が掲載されているとは限らない。応接間の飾りになっているものも多い。これらは
全集というより
叢書というべきである。ただし、こうした誤解をふせぐためか、「大系」と名乗るものも多い。
ところで、有限な「
全集」に誰の何を入れ、幾巻をさくか、誰、何をいれないかという選択は、すぐれて編集的行為であり、このうえなく具体的な批評でもあり得る(たとえば『文学
全集を立ちあげる』
丸谷才一、
三浦雅士、
鹿島茂 2006
文藝春秋。また、
坪内祐三は、みずからが編集した筑摩書房の「明治の文学」のシリーズに、
饗庭篁村に1巻を割いたことを特徴としていた。また、たとえば
池澤夏樹個人編集『世界文学
全集』全24巻 2007~ 河出書房新社の編集ぶりもこの実例といえよう)
中国文学者の
高島俊男は、大学で講義した際に「明治文学
全集には高島先生の言った『○○作の××』という作品は入っていない。ゆえにそんな作品は存在しない、嘘を言わないで下さい」と(「
全集」という言葉を字義通りに解釈した)大学生に詰め寄られたという(あまりにその学生が愚かすぎて信じがたいほどの)体験を書き残している。
全集を参照。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』